第24回 「五根を制すA −“三毒煩悩”とのつきあい方―」


(たと)えば牧牛(ぼくご)の人の杖を執って之を視せしめて、
縦逸
(じゅういつ)
にして人の苗稼(みょうけ)を犯さしめざるが如し。


人間ならば誰しも有している「三毒煩悩」―それは、「貪り・瞋り・愚かさ」の3つを指します。毒″という言葉が意味するように、この3つの毒は、ひとたび、我々の中から言葉や行いとなって外に出れば、周囲の人のみならず、自分自身をも苦しみの渦の中に巻き込んでいってしまいます。

我々は生きている限り、三毒煩悩を完全に断ち切ることはできません。それは一見したところ、悪いことのように見えますが、決して、そうではありません。大切なことは、自分の心を調整して、三毒煩悩を外に出さないようにしていくことです。それが善行を修することにつながっていくのです。

こうした心の調整は、前回の言葉を用いて申し上げるならば、「五根を制し、放逸にしない」と表現することができます。すなわち、自らの心の中を調え、縦逸(自由気ままで、好き勝手にすること)にならないようにしていくということです。

そうした五根を制する、すなわち、三毒煩悩と向き合うことに関して、お釈迦様は比喩を用いながらお示しになっています。「牛を飼う者が、自分の牛に杖を見せて(牛に恐怖心を与えるという意味)、他人様の物に手をつけさせないようにするものである」と―。「苗稼」とは、「穀物や稲穂」のことです。三毒煩悩を断ち切らないということは、牛を飼うものが十分に牛を指導しないので、牛が思いのままに悪事を働くようなものであると、お釈迦様はおっしゃっているのです。自分の心は、自分次第で自分の思うようにコントロールできるものです。それを牛の飼育者のあり方を譬えに用いながら、相手も自分も喜び合えるように調整していくことが大切であるとおっしゃっているのが、今回の一句の意味するところです。

思うに、我々人間が生きていくということは、生涯に渡って自らの三毒煩悩と向き合っていくことなのでしょう。仏教の開祖・釈尊はお亡くなりになる間際にも、それが私たち人間が生きていく上で重要なことであることを伝えんとしていらっしゃるのです。