第8回「一体化を目指して ―“セグウェイ”に乗って観た真実―」
縁に対せずして照らす。
令和元年11月21日から22日にかけて、岐阜県まで行ってきました。
22日にひるがの高原の「Ork」にて、初めて乗った「セグウェイ」なる乗り物。これは2000年にアメリカで開発され、ブッシュ大統領が小泉首相にプレゼントするなど、日本でも話題に上ったことがある電動式立ち乗り自転車です。日本では道路交通法上、公道での使用は禁止されているため、ほとんど目にすることはありませんが、ひるがの高原のような広大な私有地で乗り回すには最適な乗り物で、従業員の方の懇切丁寧な指導の元、比較的簡単に乗りこなすことができるようになり、同行者もとても楽しんでいました。
従業員の方の先導で、ひるがの高原を「セグウェイ」で移動する中、従業員の方が指さす先には白山がそびえ立っているとのことでした。当日は雲に隠れていて、白山を拝見することはできませんでしたが、天気がいいとよく見えるそうです。白山を隔ててこちら側で生活するひるがの高原の従業員さんと、白山の向こう側にある石川県から来た私たちはすっかり意気投合したようで、同行者の一人が「山一つ隔てただけで、近くにいるような気がしますね」と言ったのが印象的でもありました。というのは、この言葉こそが「縁に対せずして照らす」の境地なのです。
一見したところ、山が石川県と岐阜県を隔て、両者が別世界のような感覚を覚えますが、そうではありません。実は両者は元々、一体化しているのです。だから、それまでは縁が感じにくかった双方のつながりが見えるようになったとき、親近感が沸き、親しくなることができるのです。「縁に対せずして照らす」とは、そうした双方を分け隔てる存在がなくなり、一体化した状態を表しているのです。
次に「眼雲外に明らかなり」とあります。これも同様のことを説いています。これまで分け隔てて見ていたものの見方が一体化し、一つの世界として捉えることができるようになるということです。
こうしたみ教えを、坐禅によって体得していきたいものです。坐禅をしてお釈迦様と一体となるとき、これまでのモノの見方や捉え方(分け隔てることで、好悪等の差別を生み出すこと)から、双方を一体化して受け入れるモノの見方や捉え方を目指していきたいものです。その大切さを、「セグウェイ」に乗りながら、改めて痛感させていただいたのでした。