第12回「西天東土、仏祖正伝の坐禅とは・・・?」
三祖大師は且く名けて心となし、龍樹尊者は仮に名けて身と為す
瑩山禅師様は坐禅をお示しになるに当たり、お二人の祖師のお示しを引用なさっています。それが今回の一句です。
三祖大師とは鑑智僧璨禅師(?-606)を指します。ご承知のように、仏教のみ教えはインドのお釈迦様から二十八代を経たとき、達磨大師様(生没年諸説あり)によって中国に伝えられました。その後、達磨様より慧可大師様(487-593)へ、そして、鑑智禅師様へと仏法は伝わっていきました。三祖とは中国禅宗における三代目を意味しているのです。
鑑智禅師といえば、著書である「信心銘」を欠かすことはできません。これは鑑智禅師がお釈迦様から正しく伝わる仏法を明示し、後世に伝えようとした一編です。信心銘は禅の真髄を説いたものとして珍重され、後に多くの仏道修行者が取り上げ、その講話等が現在も残されています。瑩山禅師様もそのお一人で、道を学ぶ修行者たちに自らの仏道修行者としての視点から信心銘を説いていらっしゃいます。それが禅師様の著書である「信心銘拈提」です。こうした点から推察するに、瑩山禅師様が深く帰依し、自らのご修行の拠り所となっていた祖師のお一人が鑑智禅師様であり、こうして坐禅用心記の中にも引用なさったのではないかと考えられます。
鑑智禅師様は坐禅を「心」だとおっしゃたということですが、この「心」の意味を考えていく上で、大きなヒントとなるのが「信心銘」ではないかと思います。そもそも「信心」とは、自己の心を信ずることでありますが、その心というのは、仏性という、誰もが本来有している迷悟凡聖の区別がない清浄な心を意味しています。「清水に表裏なく、虚空に内外なし」という坐禅の世界に思いを巡らすとき、鑑智禅師の「三祖大師は且く名けて心となす」とは、人々が坐禅によって、仏と成り、自己の中に眠っていた仏性と対面できるのを説いていらっしゃることに気づかされます。そして、瑩山禅師様はそれを我が身に銘じ、人々にも伝えんとして引用なさったのではないかと捉えることもできるのです。
次に登場する龍樹尊者も瑩山禅師様が帰依する祖師のお一人なのでしょう。この方は、那伽曷樹那大和尚と申し、インド二十八祖のお一人、お釈迦様から数えて十四代目のお祖師様で。この方は2~3世紀頃の方で、南インドのバラモンのご出身、後に大乗仏教の教学体系を樹立、宣揚した方です。
鑑智禅師が坐禅が仏性に気づく行いであるとお示しになったのに対し、そのはるか昔の禅僧である龍樹尊者は「仮に名けて身と為す」と説いていらっしゃいます。解釈のポイントは鑑智禅師の「心」に対する龍樹尊者の「身」でありましょう。
鑑智禅師の心は仏性という、誰しも有する仏の心でした。それに対する形で瑩山禅師様が引用なさった龍樹尊者の「身」とは、「法身」です。すなわち、佛のお悟りやみ教えを全身に帯びた仏身であり、黙々と坐禅に行ずる姿が仏様のお姿そのものであることを説いていらっしゃるのです。
坐禅は身心共々に仏の行いであり、仏のお悟りに近づく行である―それが西天東土、インドから中国、そして、日本へと伝わってきた正しい坐禅であることを、瑩山禅師様は古の祖師方のお言葉をお借りして、証明なさっているのです。