第17回 「十二因縁」について
―“今”・“ここ”に生かされている我が身に思いを馳せて―

十二因縁とは、迷界における十二の因果関係を示したもので、以下の一覧表のように分類できます。

言葉 意味・解説
無明(むみょう) お釈迦様がお悟りになったこの世の道理や真実に疎いこと。
私見に捉われるから、事実を見誤って悪行を働き、不要な苦悩を受けるのである。
尚、我々凡夫が有する「三毒煩悩」の一つである愚かさとは、無明を意味している。
過去の二因
(ぎょう) 無明ゆえに、誤った行い(仏のみ教えから外れた行い)を繰り返してしまうこと。
そのために、誤りが習慣となってしまう。
現在の五果
(しき) 無明を根底とした認識。
名色(みょうしき) 母胎に宿ったとき
名=精神的なもの(眼に見えぬもの)、色=物質的なもの(眼に見える存在)
六処(ろくしょ) 母胎の中で六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)が育つまでの期間
(そく) 識・名色・六処の三者が和合接触し、心の作用が発生すること。
(じゅ) 触(認識作用)によって、対象を受け入れ、苦楽捨等の感受作用が発生すること。
(あい) 根本的な欲望(苦を避け、楽を熱望すること など)、受によって生ずる愛憎の念。
無明同様、三毒煩悩の一つで、貪欲を意味している。
未来の三因
(しゅ) 取捨選択行為(嫌悪するものを捨てて、好悪の存在を選び取ろうとすること。
愛によって生ずる対象への執着。
煩悩の別名
取によって生ずる習慣や性癖、人格
有を具備して生まれること。 未来の二果
老死 生まれた上で種々の経験をなし、老いや死の苦悩を受けること。


無明を根本とし、それを因として行という果をもたらすという形で、前者を因として、後者が果となるという形で展開していくのが十二因縁です。それは私たち人間がこの世に生まれ、時間の流れとのかかわりの中で年を重ね、やがては消滅していく様子を説いたものでもあります。瑩山禅師様は、それを坐禅用心記の中で「展伝相続」と言い表していらっしゃいます。そして、私たちはこの世にいのちをいただく因と縁が合成して、一時期、人間ならば人間の身体をお借りして、人間世界に存在させていただいているだけなのです。

こうした十二の因果の道理に思いを馳せ、ご縁をいただいたここという場所、今という時間を大切に、少しでも御仏のお悟りに近づけるよう、日々を精進して過ごしていきたいものです。