第18回「不壊なる身心を調えて」
海水の外に一点の波無きが如く、波浪の外に一滴の水無きが如し、
故に
穏やかな海の水も、風が吹けば、波が生じます。風が強ければ強いほど、海も荒れていきます。そうした風という縁によって、私たちの現前に映る姿には変化が生じますが、元来は同じ水です。
そのことを瑩山禅師様は「水波別無く、動静異なること無し。」とお示しになっています。これは、元々平等な存在も、縁によって変化して見えるだけにすぎないということです。それを瑩山禅師様は“海水・風・波”をたとえとして用いながらお示しになっています。「心は海水の如く、身は波浪の如し、海水の外に一点の波無きが如く、波浪の外に一滴の水無きが如し」に込められているのは、私たちの心は、元来、
次に「生死去来眞實の人」とあります。前世のことや死後の世界のことは、誰一人として明確に回答できませんが、仏教における「
そうした六道を
そうした私たちの身心は「四大五蘊不壊の身」であると瑩山禅師様はおっしゃっています。善なる道を歩み、仏に成るべく精進していくならば、その身心は絶対なる強固な存在になるというのです。
どうか日々の生活の中で、少しでも多くの方が、そうした因果の道理を体得し、坐禅によって姿勢を調えるが如く、不壊なる身心を調えながら、仏に近づいていくことを願うばかりです。