第31回「末法時の仏道修行 ―“八大人覚”の意識づけ−」
計らずも、お釈迦様のご命日である2月15日の夜更けに、仏遺教経(釈尊最期のご説法)に関する原稿を執筆させていただいております。今から約2600年前の遠い昔、80歳のお釈迦様が静寂なる闇夜の中で、最期の力を振り絞り、お弟子様方に説法をなさったとのことです。そのお姿はこの上なく尊いものであったことは想像に難くありません。
そんな仏遺教経を、我が曹洞宗門では、
お釈迦様が最期のご説法の中でお示しになった
★八大人覚
三毒煩悩(貪り・瞋り・愚かさ)を調整し、言葉や行いにして表に出さない | |
両極端に偏らず、仏のみ教えの範囲内のほどほどのところで満足できるように心がける | |
自分の身心を乱す存在から距離を取り、自身を調えることを心がける | |
悪を断ち、善を修し続けることを意識して、仏のお悟りに向かってまっすぐ進む | |
仏のみ教えに従って、自分の身心を調えながら日々を過ごすことを忘れずに心がける | |
自分の身心を調えながら過ごす | |
仏のものの見方や周囲との接し方を体得し、自らの五根を制する | |
仏の言葉を体得し、仏の道から外れた無駄話等を慎む |
そんな八大人覚の巻において、道元禅師様は「お釈迦様がお示しになった8つの徳目こそ、仏道修行者が我が身に念じて実践すべき生き方である」とおっしゃっています。道元禅師様によれば、お釈迦様が実在なさっていた
そんな修行によって、我々修行者は自分の心と向き合い、放逸(放ったらかし)にせず、しっかりと調えて、悪を断ち、善を修することを意識づけていくことができます。「挫いで」は、屈服させることです。どこか強制的な押し付けの印象がありますが、他者に持論を強制して屈服させてはなりませんが、自分に対して善を修する生き方を押し付けることは、自身の心を調えることにつながります。どうか、実践していきたいものです。