第32回「心を(わきま)まえる」


()(しん)(ほしいまま)にすれば人の善事を(うしの)う、
(これ)一処(いっしょ)に制すれば()として(べん)ぜすと()うことなし


―令和2年2月21日(金)―
世界中を賑わす「コロナウイルス(COVID-19)」の猛威が、我が石川県にも到来したという報道が夕闇の県内を駆け巡りました。いつか来るだろうと思っていた日が、ついに訪れたました。連日の報道を通じて、刻々と変化していく世情に「諸行無常(しょぎょうむじょう)」を観じずにはいられません。

未だ未体験のウイルス故に、不明なことも多く、様々な情報が流れています。それを受けて、予定されていたイベントの中止や自粛といった動きも出てきています。不特定多数の方が関わりますので、やむを得ないと思っています。また、ドラッグストア等では、マスクが品薄とのことです。不安ゆえに我先とマスクを大量購入する人が多いのでしょう。

未曽有の自然災害や戦争など、過去の歴史を振り返ってみると、いつの世も、内容は違えども、同様の事案は発生しています。そして、その都度、人間たちは様々な対応を経て、困難な状況を乗り越えてきました。

こうした中で、大切なことは周囲からの様々な情報を冷静に受け止め、対処していくということです。これまでお釈迦様が仏遺教経の中で、人々に心を根底とする五根(眼・耳・鼻・舌・身体)を調えながら日々を過ごすことを説いてくださっていることを確認してきましたが、自ら五根を調え、冷静に対処していくという心がけなければ、我々はお釈迦様のおっしゃる「心を縦にすれば人の善事を喪う」ということになりかねません。「善事を喪う」とは、仏のみ教えから外れた言動を取ってしまうということです。マスク一つ事例に採ってみても、マスクを買い占めたくなる気持ちはわかりますが、一体、どれだけの人が優先すべき高齢者や持病のある方に対する配慮できていたでしょうか。そういう方の存在を心で意識しながら、行動できたでしょうか。果たして、自分自身が心を縦にしていなかったかどうか、よくよく振り返っておく機会ではないかと感じています。

そうした人間の習性を押さえたうえで、「五根を調え、冷静に対処する」という生き方に一点集中してみることが、お釈迦様のおっしゃる「一処に制す」という心の調え方なのです。そうやって、私たちは辨(物事をわきまえる)の毎日を過ごすことができるようになるのです