第34回「食=薬 ―食との関わり方―」
お釈迦様の遺誡は私たちの「心」に関する話題から、「食」に関する話題に変わります。食もまた、私たちにとって、日常的かつ身近な話題です。
「食事をいただくとき、薬を飲むようにしていただくのがよい。自分の好きな食べ物は大量にいただき、苦手なものは食べないといった、差別的な食事のいただき方をするのではなく、自分の健康を調える程度の量をいただき、飢渇を除くようにするのがよい。」―これがお釈迦様の食に関するお示しです。どんな食も我が身を調える薬であり、その食によって、私たちの身体が健やかに保たれ、活力的な毎日を過ごすことができるのです。そうした“食=薬”という認識を持ち、自分の好みで良し悪しを決めつけるような差別的な関わり方をせず、感謝していただくようにとお釈迦様はおっしゃってます。
私たちは食の内容のみならず、分量に対しても、あれこれ言いたくなるところがありますが、「我が身を支えるに足るほどよい分量」を意識して、分量を問うことなくいただく大切さをお釈迦様はお示しになっています。
自分自身を振り返ってみますと、20代の若かりし頃は、「一食くらい抜いても大丈夫だ」と思って過ごしていました。しかし、40歳になった今、食の大切さがじわじわと感じられるようになってきました。食事なしの健康な毎日などあり得ませんし、元気に我が身を社会のために使うこともできません。そのことが実感できたとき、自分の三度の食を欠かさずに調理してくれるつれあい、さらには、どんな天候の日もその食材の生産に携わっておられる生産者の方々への感謝の気持ちが生じてきました。目の前にあるのはたった一杯のかけそばかもしれません。しかし、蕎麦や薬味のネギ、そばつゆ、それらの食材を生産してくださった方々、そして、かけそばを調理してくださった方々、たった一杯のかけそばにも実に多くの人々の手がかけられていることに気づかされます。そうした多くの人々のおかげさまで、自分の日々の活力となる食がいただけることに気づけば、私たちは一人ではなく、直接関わりを感じられない人も含めた多くの方々に支えられ、その力をいただいて生かされていることを実感できるのです。
そのときに、多くの人はハッとさせられるでしょう。自分の好みで食材の好嫌を分別したり、分量の多少を主張していた愚かな自分の姿に思い当って・・・。どうぞ、食=薬と捉えることを意識し、自分の食に携わる方々に思いを馳せ、感謝していただきましょう。