第36回「“物品のやり取り”という仏道修行」

人の供養を受けて、(わずか)に自ら(のう)を除け、
多く求めて()の善心を()することを得ること無かれ


お歳暮やお中元等、人様と物品のやり取りをする機会がございます。物品を選ぶとき、私はなるべく事前に相手が好むものをリサーチしておき、それをお届けするようにしています。そうしたやり方は、私に限ったことではなく、多くの方がなさっていることではないかと思います。

そうした物品をやり取りする中で、時折、自分の好みではないと感じるものが届いたという経験は誰しもあると思います。せっかくの人様からの善意に対して、選り好みをせずに、感謝していただかなければならないとは思うのですが、ついつい自分の好悪の感覚が芽生え、ありがたくいただこうという気持ちになれなかったという、何とも苦い感覚を覚えたことは誰しもあると思います。

たとえいただいたものが自分の好みの品物でなかったとしても、あれこれ文句を言わずにありがたくいただく。また、自分は相手に対して、相手の好みを斟酌して物品を送ったのに、とても相手からはそこまでの気遣いを感じにくい品物が届いたとしても、過度な見返りを期待せずに、感謝していただく―それが「人の供養を受けて、趣に自ら悩を除く」の意味するところです。人様からのいただきもの(供養の品)に対して、いただくときこそが、“貪り”という煩悩を断つ機会であり、“(いか)り”の感情を調整する修行の場であったりするということなのです。そして、そうした人様から何かをいただいたときの自身の心の調整なり煩悩のコントロールをすることが、相手の善心(善意)という善き心を壊すことなく、大切にしていくことになるのです。

―物品のやり取り―
これも大切な仏道修行の一つだということを押さえておくとよろしいかと思います。