第32回 「無作妙用(むさのみょうゆう)


自然のままに我が身を任せ、素直に生きる


やるべきことが片付かぬままに、新たな仕事が追加され、課題がどんどん溜まっていったという経験は誰しもあると思います。そんなとき、皆さんはどんな反応を示しますでしょうか。

自分自身を振り返ってみますと、若かりし頃は、こうした状況に陥ったとき、イライラすることが多かったように思います。思い通りに事が進まぬ苛立ち、期日に間に合わないかもしれないと思う焦り、相手を怒らせるのではないかという不安に、無能な人間と思われたくないという見栄。そうした様々な感情が噴出し、自分が発する言葉や行いに顕れていたように思います。今にして思えば、経験不足ゆえに度量や視野が極度に狭かったのではないかと思います。

そんな自分が周囲からアドバイスをいただいたり、幾ばくかの人生経験を積ませていただく中で、狭かった度量や視野が少しずつ広がってきたのでしょうか、40歳を過ぎた今、仕事が貯まっても、イライラすることが多少は減ったように思います。その背景には、「無理やり進めようとしてもうまくいくものではない。周囲の状況に身を委ねながらやっていく方が成功することが多い」ということに実体験を通じて気づかせていただいたからに他なりません。

世の中には、「早いに越したことはない」と言わんばかりに自分が思い立ったときに仕事を終わらせようとする人がいます。それは決して、間違いではありません。ただ、相手がある場合、必ずしもそのやり方が正しいとは言い切れないのです。自分は今が最適なタイミングだと思っていても、相手にとってはそうではないかもしれません。却って相手を急かせ、上手くいくものが上手くいかなくなることだってあり得るのです。大切なのは相手の性格や能力、仕事のペースにも十分に配慮しながら、言動を発していくことです。それは相手に我が身を任せていくことでもあるのです。

自分から言動を発し、自分のペースで進めようとすることに対して、自分から何も発信せず、自然に委ねることを「無作」と言います。この「無作」こそが「妙用」という絶妙なるタイミングであるというのが、「無作妙用」の意味するところです。そこには自分から何とかしようとして発する言葉も行いもありません。すなわち、私心や執着のない、自然の状態です。だからこそ、相手があることならば、相手のどんな考え方にもペースにも馴染み、事が円滑に進んでいくのです。

あまり自分の方からばかり発信せずに、相手の様子もよくよく伺いながら、最適なタイミングを掴んで、言動を発していく―そうすることで、自然なままに良い状態で事が運ぶこということを「無作妙用」は説いているのです。