第37回「智者のあり方 ―“中道の食生活”を通じて―」

(たと)えば智者(ちしゃ)牛力(ごりき)()うる所の多少を籌量(ちゅうりょう)して
(ぶん)
に過して(もっ)()の力を(つく)さしめざるが如し


新型コロナウイルス(COVID19)の話題が尽きぬ年度末となりました。毎年、この時期は新年度からの新たな生活を迎えるべく、引っ越し等に追われる人も多いのではないかと思います。限られた時間の中で、スムーズに新生活を迎えるためには段取りのいい引っ越し作業が求められるのは言うまでもありません。しかし、だからといって、事を早く済ませようと、トラックに大量に荷物を積めば、過積載となります。時間に追われ、作業を慌てれば、事故につながりかねません。そうした事態を避けるためにも、“4月1日から新生活が送られるように”というゴール地点を見据えた上で、事前に引っ越しの計画を立て、人手が必要であれば依頼しておくなどして準備をしおくことが大切であり、それが「智者」たる、智慧のある者の仕事のやり方であるということです。

これはお釈迦様の時代にも当てはまることだったようで、お釈迦様は「智慧のある牛飼いは自分が飼っている牛のスペック(状態)を熟知しているがゆえに、それに応じた形で、決して、無理させることなく、万全に力を発せられるように仕事をさせる」とおっしゃっています。それが今回の一句です。「多少の籌量」という、相手に応じた仕事量を計算することや、「分に過す」といった分不相応にならないように配慮することは、いずれもお釈迦様が常日頃からお示しになっている「中道(ちゅうどう)」という、どちらか一方に偏らない、一つのことに捉われない生き方を説いたみ教えと合致するものです。そうした相手の状況を見ながら、全てを相手にお任せし、こちらから強引に一つの方法だけを押し付けるようなことをしないのが、悟りを得た「智者」の生き方なのです。

今回の一句は、そうした智者たる者が食事をいただくときの心得を譬えを用いて説いた箇所でありますが、お釈迦様は眼前の食事に対して、そこに使用されている食材の生産者や調理者の労苦にも思いを馳せ、感謝していただくのは勿論のこと、“食=薬”という観点を以て、自分の身心を養う程度にいただくことを説いていらっしゃいます。当然ながら、生産者たちの労苦を慮ることなく、貪るようにして食をいただくのを慎むことは必須です。

大切なことは「中道」というみ教えを考慮しながら、食をいただくということです。そして、それは食に限らず、何事にも通ずることなのです。