第38回「睡眠の捉え方@ ―昼は(ごん)(しん)に善法を修して!―

汝等比丘(なんだちびく)(ひる)は即ち勤心(ごんしん)善法(ぜんぽう)(しゅじゅう)習して時を失せしむること勿れ、
初夜(しょや)にも後夜(ごや)にも亦廃(またはい)すること有ること勿れ


食に関するお釈迦様の遺誡が「睡眠」に関するものに展開していくのが今回の一句です。

お釈迦様はお弟子様方におっしゃいます。「日中は、悪を断ち、善を修することを意識して、一生懸命、仏道修行に勤しみなさい。決して、時間を無駄に過ごしてはならない。それは日中に限らず、明け方も夕方も夜も同じである。」と―「初夜」、「午夜」という言葉が出てまいりますが、以下の一覧表にまとめてみました。

初夜 夕方〜中夜までの間(凡そ現在の18時〜22時頃)
中夜 現行の22時〜翌朝3時頃
後夜 現行の午前3時頃から4時頃
大本山等の修行道場において、修行僧たちはこの時間に起床し、朝の坐禅を行ずる。
それを「暁天(きょうてん)」という。

日中は怠けることなく道に生きることが、仏道を歩む人間の生き様であり、夜が更けても怠けることなく、明け方も早くから起床して、いただいたいのちを無駄にすることがないようにとお釈迦様はおっしゃっているのです。

若かりし頃の私は、様々な仕事や社会的な役割を果たしていく上で、一日を段取りよく過ごさなくては万事が上手くいかないことに気づき、朝は早くから起床し、日中は勿論、夜は遅くまで働くという計画を立てながら毎日を過ごしていた時期がありました。状況は今もさほど変わりないのですが、ただ、体力的な衰えは年々、身に感じられるようになっており、上記の表で言えば、中夜に入れば眠くなり、6時間は睡眠をとらなければ、後夜に起床することはできない状態です。睡眠時間の確保ということも調った日中を過ごしていく上で欠かせないことを痛感している今日この頃です。

瑩山禅師様は「坐禅用心記」の中で、「三不足(さんふそく)」ということをおっしゃっています。衣服・睡眠・食の三者が不足することなく調えらえていることによって、人は怠けずにしっかりと毎日を過ごせるということです。今回のお釈迦様の遺誡は、そうした瑩山禅師様のお言葉の原点になっているように感じます。昼において、道に生きるということ、それも朝早く夜も遅くまで、一分たりともいただいた時間を無駄にせず過ごしていくには、夜は睡眠をしっかりとって、自らの健康を調えておくことが欠かせないということなのです。

お釈迦様は決して、睡眠を批判したり、睡眠時間を必要以上に削る生活を推奨しているのではありません。いずれの時間であれ、やるべきことをやらずに、怠けて眠り過すような生き方は慎み、休むときには休むことを説いていらっしゃるのです。

お釈迦様が重視されているのは「昼を勤心に善法を修する」ことです。それを実現可能にしていくことを最優先に考えたとき、どんな夜の過ごし方が必要になるのか、逆算すれば、どれだけの睡眠時間が必要となるのか、何時に起床すればいいのか、そうした「昼に善法を修する」ことを目的とした一日の過ごし方を明確にしておくことの大切さをお釈迦様はお示しになっているのです。

大切なことはいただいたいのちと時間を無駄に過ごさない生き方をすることなのです。