第30回「調身の要術その3 ―食と仏道修行―」


(じき)()だ気を支ふるを取って(あじわい)(たしな)むべからず。
或は飽食して打坐すれば発病の因縁なり、
大小の食後輙(じきごたやす)く坐することを得ざれ、
(しばら)
く少時を経て坐するべきに()えたり、


子どもの頃は小食だったためか、成長期にはあまり身長も伸びなかった住職(現在161a)ですが、22歳から23歳にかけてのご本山での修行が自らの食生活を見直すいい機会となりました。三度の食事の摂取が習慣化されると共に、食べる量も随分と増えました。若かりし頃は痩せこけていた身体も今は往時の面影などなく、20代前半の住職を知る者が「貫禄がついた」と評したくらいです。(良く言えばということでしょうか・・・?)

ご本山での食事は朝は坐禅・朝課(ちょうか)(読経)の後、凡そ6時くらいでしょうか、昼は11時半、夜は16時半と決まっていました。その間の間食は皆無と言っていい状態です。ご本山にお世話になるまでは、量は少ないものの、食べたい時に食べていた自分にとって、間食もなく、決まった時間に食事をいただくことは、予想以上に厳しいものであり、当初は空腹に耐える日々が続きました。そうした苦痛を和らげるには、三度の食事がチャンスです。それをしっかりといただくことで空腹の苦痛からは逃れられるのですが、それに加え、三度の食事をしっかりといただくことが、身心を調え、しっかりと仏道修行に邁進できることを教えていただきました。思えば、学生時代は、その食事さえ、まともに摂取しようとしていなかったから、体調は崩れやすく、心も乱れやすく、感情を上手くコントロールできなかったように思います。だから、人間関係などで悩むことも多かったのでしょう。そういう自分の生き方を改める機会を作ってくださったご本山での一年間の尊さに20年たった今、ようやく気づかされ、その信仰を新たにする住職です。

そうした食に対して、味わいだけを重視するような、偏った見方はもちろん、食事の量に対しても小食や飽食(食べ過ぎ)ということがないように、「中道の食事」を心がけておきたいと瑩山禅師様がおっしゃっているのが今回の一句です。飽食では、打坐(坐禅)に悪影響を与えます。眠気を催したり、却って身体が重く感じたりして、坐禅を行じようとする気持ちが起こりにくくなります。また、食後直ちに坐禅をするのではなく、少し時間を置いてから行うのがよいと瑩山禅師様はお示しになっています。多少の消化の時間を設けた上で、次の行動に移るべきなのでしょう。

食は我が身心の調整にとって欠かせない「調心の要術」です。ただし、その量は中道という、偏らない量を心がけておきたいものです。―食べ過ぎず、少な過ぎずを心がけて―