第32回「“我が生活環境”を整える」


(およ)そ坐禅の時は牆壁(しょうへき)禅椅(ぜんい)及び屏障(へいしょう)等に靠椅(こうい)すべからず、
又風の(はげ)しき(ところ)に当たって打坐すること(なか)れ、
高顕(こうけん)の処に登って打坐(たざ)すること莫れ。皆発病の因縁なり。


瑩山禅師様は坐禅をしている際には、牆壁(しょうへき)(囲いや壁)・禅椅(ぜんい)(僧侶が説法等の際に座るイス)・屏障(へいしょう)(屏風、ついたて、障子)に靠椅(こうい)(寄りかかること)してはならないとお示しになっています。また、風の激しい場所や高台も坐禅には不向きであるともおっしゃっています。なぜなら、いずれも病を引き起こす原因になるからだというのです。

曹洞宗で「イス坐禅」が考案され20年近くが経つでしょうか。今や坐禅会や布教の現場でも一般に浸透しつつあります。道元禅師様は「普勧坐禅儀(ふかんざぜんぎ)」をお示しになりましたが、この普勧(全ての人に差別することなく、坐禅をお勧めになる)ということを考えあわせれば、「イス坐禅」は「普勧」に叶った漸進的な取り組みであると言えるでしょう。

ただ、「調身・調心・調息」という面から考えると、本格的にそれらを成し遂げるには、床上の坐蒲(ざふ)や座布団にどっかりと腰を下ろして座る方が体感しやすいのは否めません。そういう意味でも禅椅に寄りかからない、あるいは、禅椅ばかりに頼らないというお示しが出てくるのではないかという気がします。

風の激しい場所や高台が坐禅に不向きであるというお示しについて、思えば、高源院は小立野台の高台にあり、お寺からの眺めは絶景です。以前、この絶景を見ながら坐禅をするのをウリにしてはどうかというご意見をいただいたことがあります。確かに素晴らしい景色を見ながら、静かな環境の中で端坐すれば、身も心も穏やかになり、調っていくような気がします。しかし、その半面で、景色の素晴らしさに捉われてしまうと、身心が調うまでに至らないのです。

また、高台は強風が吹けば、建物が揺れ、不安を生じさせます。以前、そんな日に坐禅会をしたことがありますが、風にばかり気を取られ、坐禅どころではありませんでした。これが瑩山禅師様のおっしゃる「発病の因縁」ということなのでしょう。瑩山禅師様は、高台で坐禅をすれば、何らかの病に罹るということをお示しになっているのではありません。そうした場所での坐禅は様々な執着を生み出し、「調身・調心・調息」までに至らないということを「発病」という言葉で表現なさっていると私は解釈しております。

高源院からの眺め(平成30年7月1日撮影)

坐禅をする際の周囲の環境は重要です。なぜなら、私たち一人一人がそうした周囲の環境や存在と関わり合っているからに他なりません。ということは、環境が調ってこそ、私たちの身心が調うのです。そして、それは坐禅に限ったことではありません。「環境を調える」ことは、サラリーマンの方ならば自分の職場デスク、芸術家ならば芸術作品を生み出すアトリエなど、自分の生活の舞台全般に当てはまることなのです。