第33回「調息の法 ―身心共々“不安定なとき”には―」


()し坐禅の時、身或は熱するが如く、或は寒するが如く、
或は()ぶるが如く、或は(なめら)かなるが如く、或は堅きが如く、
或は柔かきが如く、或は重きが如く、或は軽きが如く、
或は警覚(けいかく)するが如きは、皆息の調はざるなり。
必ず之を調ふべし。


これまで瑩山禅師様は、「調身の要術」ということについてお示しになってきました。調身というのは、実に広範囲で奥深いものを有したみ教えで、背筋を伸ばすことのみならず、日常生活の全般を調えることまで含めているのです。

特に瑩山禅師様は「三不足」を戒めていらっしゃいます。三不足とは衣服・睡眠・食が不足することで、それが「昼は勤心(ごんしん)善法(ぜんぽう)を修する」ことを妨げてしまうのです。確かに睡眠不足に過度なダイエットによる食事制限、清潔感に欠けた服装では、いい仕事もいい生活もできません。「三不足」にならないよう、我が身を調えていくことが「調身」であることを今一度、押さえておきたいものです。

そうした調身によって、呼吸が調ってきます。それが「調息」です。道元禅師様は「普勧坐禅儀(ふかんざぜんぎ)」の中で、「欠気一息(かんきいっそく)」というみ教えを提示なさっています。これは手を組み、足を組み、姿勢を調えたら、一呼吸して、身体の中の空気を大きく吐き出すということです。この「欠気一息」によって、息を吸ったり吐いたりすることに一々意識したり、捉われたりすることなく、自然に、普段通りの呼吸ができるというのが「調息」なのです。

三不足の状態で坐禅に臨むと、何だか身体が熱く火照っているような感覚になったり、寒気を覚えたりすることがあります。また、どこか身体が窮屈で堅さや重さを感じたり、逆に、どことなくハイテンションで軽やかな気持ちになったりと、落ち着かない状態に陥ります。それでは自分の身心の状態にばかり気が向いてしまい、とても坐禅に集中できるような状況ではありません。

そうした自分の身心が安定しないとき、安定させる方法が呼吸であると瑩山禅師様はおっしゃっているのが今回の一句です。道元禅師様のおっしゃる「欠気一息」によって、呼吸を調えることが、不安定な身心を調えていくということにつながっていくのです。