第3回 「観世音菩薩の語らい ―“中道”を歩む―」
舎利子(しゃりし)
色不異空(しきふいくう)
空不異色(くうふいしき)
色即是空(しきそくぜくう)
空即是色(くうそくぜしき)
受想行識(じゅそうぎょうしき)
亦復如是(やくぶにょぜ)
高源院の住職を拝命したばかりの頃です。あるお檀家さんから「お経はその内容がわからないと、なかなかありがたみが感じられない」と言われたことがあります。その言葉がきっかけとなり、私は経典に目を通すようになりました。とてもありがたいことだと今も感謝しております。
このお檀家さん始め、人々の宗教に対する見方は常に変化しております。その中でも「わかりやすさ」を求める声は近年、大きくなっているように思います。たとえば、法要儀式において、解説(司会進行)をさせていただくことがありますが、一般には何をやっているかわからない法要所作の意味を端的に解説していくと、参詣者が喜んでくださいます。参詣者の知りたいという願いに応じることも、布教であり、救いの手を差し伸べることにもつながっていくと思います。
とは言え、「普勧坐禅儀」の中にもありましたが、人間の生き方を説く宗教には言葉だけでは語れないものがあります。その点も押さえた上で、お経の意味を知り、ありがたみを実感できるようになれたらと願うのです。す
前置きが長くなってしまいましたが、前段において、観世音菩薩様はこの世が「諸行無常」であることをお悟りになりました。その上で、観音様は冒頭にある「
観自在菩薩様は舎利子に語りかけます。「
さらに読み進めると、「
人間は自分の都合のいいようにものごとを考えます。愛しいものや大切なものは永遠に残しておきたい。死にたくない。いつまでも美しくいたい。いつまでも若さを保ちたい。そうした思いは誰しも持っています。現実には、それが叶うことは、不可能であるということがわかっているのに・・・。
そんな人間に対して、この世の道理(本来のあるべき現実の姿)を示しているのが、「色即是空。空即是色」という部分です。不可能なことを可能にしようとするから、人間は不要な苦しみを感じるのです。「諸行無常(万事が変化する)」という、この世のしくみを受け止めた上で、何ごとにも捉われない、執着しない生き方を心がけていきたいものです。
続いて、「