第39回 「点滴穿石(てんてきいしをうがつ)

コツコツと努力し続けることが大きな成果を生む出すことにつながる

先日、お寺にお参りに来てくださった方から、「隅々まで掃除が行き届いていて、心が洗われました。また、お参りさせていただきます」という温かいお言葉をいただきました。こうした愛語が私たち僧侶の修行を支えてくださっていることを再確認させていただいた瞬間です。

―「禅寺というのは、きれいに掃除されていて当たり前なんだ」―
若かりし頃、しばしお世話になっていた高源院の本寺様であります羽咋市・永光寺様のお檀家様から教わったことです。このお言葉が今も僧侶としての自分を支えてくれています。日々の多忙さの中で、気を緩めれば、掃除の手も緩んでしまいます。ですから、たとえ落ち葉一枚、雑草一本であっても注意を払い、清浄な境内を目指すことが、禅寺の環境づくりには欠かせないと我が身に念じ込み、極力、作務(さむ)(掃除や草取りなど)を行うように心がけています。今回、そうした日頃から、短時間でもいいからコツコツと掃除をし続けていくことで、ありがたみのある寺院環境を生み出すことを、参詣者から教えていただいたのであります。

お釈迦様がお亡くなりになる直前、お弟子様方に「精進」ということをお示しになっていることは、これまで幾度もお話させていただきました。「精進とは、たとえ少量の水でも、毎日、流し続けていれば、硬い石が変形し、割れるときがやって来るようなものである」とお釈迦様は明快な譬えを用いて、お示しになっているわけですが、「点滴穿石」は、そうした「精進」を説いた禅語なのです。

―「ほんの10分の草取りをどう捉えるか」―
毎日、10分間、草取りの時間を取ることを続けることを面倒に感じる方もいらっしゃるかもしれません。そんな小さなことに時間を割く余裕はないと思う方もいらっしゃるかもしれません。しかし、そのたった10分の時間に手をかけることで、今回の参詣者のような心癒される方が出てくるのです。これは境内の草取りに限らず、万事に通じます。ささやかなことで構いません。自分ができる範囲でいいから、世間に何か喜びを提供できるようなことを見つけ出し、コツコツと続けてみるのです。そして、そうすることが何らかの「社会貢献」につながっていくのです。