第40回「
破れた
以前は、檀務(お檀家さん宅への月参りや葬儀、法事)に出向く際には、「
現代のように道路がアスファルトで舗装されていなかった時代、人々は
そんな磨り減った(破)草鞋のように、私たちも日常生活の中で様々な経験を積み重ねながら、日々を過ごしてます。うれしいことや成功したこともあれば、失敗や恥ずべきこともしています。特に後者は思い出したくないことであったり、あまり役に立ちそうもないことだったりするようにも思われます。しかし、実はそうではありません。失敗も恥も、全てが自分の人生の肥やしとなっていくのです。それが「破草鞋」の意味するところです。
A氏は怒りっぽい方です。友人のBは温厚な方です。そんなA氏がある日、B氏に「俺は感情のコントロールができないんだ。だから、お前がうらやましい。お前のようになりたい。」と本音を漏らしました。今や年齢を重ね、温厚なB氏ですが、実は若い頃はA氏同様に感情のコントロールが不得手で、若い部下への暴力を上司から厳重注意さえたこともあるくらいです。そのとき、B氏は恥ずかしい思いをしたそうで、以来、自ら気をつけて感情をコントロールするようになりました。心に怒りを感じれば、よくよく考えて、言葉や行いを発するようにしているそうです。これは道元禅師様が「正法眼蔵随聞記」の中でお示しになっている“
一足の草鞋を履きつぶすまでの間に経験する様々な出来事は、自分の人生を豊かなものにしていくものばかりです。その中でもB氏のように、自分の弱点は周囲の力をお借りしながらも、最終的には自分の力で克服していくしかないように思います。今年(令和2年)は新型コロナウイルスに翻弄され続けた一年になりそうです。その中で、“我が身を調え、冷静に対処することの大切さ”を学ばせていただきました。多くの人が「自分の弱点は冷静になれないことである」ということに気づかされたことでしょう。私もその一人で、今は冷静さを身につけようと毎日を過ごしています。
コロナ禍の時代を生きていく中で、自身の弱みに気づき、それを強みに変えていくことが求められています。そのことを「破草鞋」のみ教えを通じて、再確認させていただきたいものです。