第38回「調心C ―“妨害者という存在”の関わり方―」


火難(かなん)水難(すいなん)風難(ふうなん)賊難(ぞくなん)及び海邊(かいへん)酒肆(しゅし)婬房(いんぼう)寡女(かにょ)処女(しょにょ)
妓楽
(ぎがく)
(へん)並びに打坐(たざ)すること莫れ。国王大臣権勢(こくおうだいじんけんせい)の家、
多欲
(たよく)
名聞(みょうもん)戯論(けろん)の人にも亦、之に近づき住することを得ざれ。


今回は坐禅をする上での“避けるべき場所や他者との関わり”に関する瑩山禅師様のみ教えが提示されています。我が身心を調えるという観点から見た場合、道元禅師様も「普勧坐禅儀」の中で、坐禅を行う環境が及ぼす影響の大きさについて、ご指摘になっています。その点も踏まえ、瑩山禅師様のみ教えを味わっていきたいと思います。

まず、「火難、水難、風難、賊難」ですが、近年、地震に始まり、台風や豪雨等の自洗災害が多発し、人々の関心及び防災意識が高まってきております。土砂災害に関して、「土砂災害防止法」に基づき、「レッドゾーン」や「イエローゾーン」といった土砂災害警戒区域が設定されており、当該範囲における建物の建設には制限が設けられています。

そんな自然災害の影響が出やすい場所は生活空間としては、避けられるものならば避けた方が、より我が身を守りやすくなるのは明白です。また、坐禅を行う場所としても、大雨が降れば、崖崩れが発生しないか、我が身に被害が及ばないかと不安が生じてしまい、とても心を調えようという気持ちになれません。賊難とは、盗賊等、何らかの犯罪行為を引き起こしかねない存在が身の回りにいることを意味しています。それも自然災害同様、仏道修行の妨げとなります。そうした自分が仏に近づくことを妨げてしまう存在に留意して、関わっていくことが大切であることを瑩山禅師様はおっしゃっているのです。

次に「海邊」とあります。海辺は環境としては悪くありません。また、魚を捕る行為そのものを批判しているわけではありません。そのことを押さえた上で申し上げるならば、海を自由に泳ぎ回る魚を捕らえる行為によって、魚がどうなったかを目の当たりにしたとき、心が乱れるかもしれないことを留意しておきたいということです。他にも酒肆(酒を出す店)、異性(寡女、処女)や異性に関する邪な心が起こり得る婬房、喧騒によって、心が乱れやすくなる伎楽(劇場の類)も、坐禅の場としては避けるべきだと瑩山禅師様はおっしゃっています。勿論、瑩山禅師様は、そうした場所や存在そのものを批判なさっているわけではありません。あくまで坐禅修行とのマッチング(相性)という点からのお示しであることを押さえておきたいと思います。

次に国家権力(国王大臣権勢)や多欲(欲望をコントロールできないこと)、名聞(名誉が世間に広まるのを求めること)、戯論(仏道修行に関係のない会話をすること)といった行いをする存在との関わりも、仏道修行の妨げになると瑩山禅師様はおっしゃっています。古人の祖録を読んでみますと、仏道修行の気持ちがない者同士が集い、仏法の灯が消えかけた事例は、いつの時代もあったようです。見た目は出家者でありながらも、中身が多欲であるために、権力に媚び、我が名誉が広まることばかりを願った言動を乱発し、馬鹿げた会話に終始してしまうのです。そんな人間関係の中で、いくら純粋に仏道を歩もうとしても、すぐに道から外れてしまうことになるでしょう。何もそうした存在を否定しろというのではありません。その性質・性格を押さえた上で、一定の距離を置きながら関わることが大切だということです。それが「遠離(おんり)」ということなのです。

存在そのものを否定してはなりません。その存在とのあるべき関わり方を体得してくことが大切だということを押さえておきたいものです。