第42回「身の回りを調える」

坐褥(ざにく)(すべから)く厚く敷くべし、打坐(たざ)は安楽なり。
道場は須く清潔なるべし、(しか)して常に香を焚き華を献ずれば
則ち護法善神及び佛菩薩影向(ようごう)して守護するなり、
若し佛菩薩及び羅漢の像を安置すれば一切の悪魔鬼魅其(あくまきみそ)便(たより)を得ざるなり。


座るといっても、坐禅の場合、足を組んで座るため、平坦な場所では上手く座ることができません。そこで、座布団を敷いて座る必要性が生じるわけですが、坐禅をする際に用いる座布団(坐褥)が坐蒲と呼ばれるもので、一般的には厚みのある黒い円形のものが多いです。坐蒲を敷いて坐れば、平坦な場所に腰を下ろすよりかは、身体への負担は随分軽減されます。まさに「打坐は安楽なり」なりです。

次に瑩山禅師様は坐禅を行う環境を調えることについて言及なさっています。「道場は須く清潔なるべし」—前にも触れられていましたが、特に禅寺はきれいに掃除が施されていてナンボの場所です。その理由は清潔な環境こそ、身心を調えることにつながっていくからに他なりません。

そんな堂内に、お香を焚いて身心に安心を与える香りを充満させ、花をお供えしておくことによって、護法善神及び佛菩薩(お寺のご本尊様始めとするあらゆる仏様)が仏法を説いて、我々に安心を与えてくださるがごとき、心が安らかになる環境になると瑩山禅師様はおっしゃいます。さらに、そんな環境に佛菩薩及び羅漢様の像が安置されていれば、ありがたみのある雰囲気が強まり、我々の身心が安心し、確実に調っていくというのです。

金沢三十三観音霊場巡りの第二十九番札所となって入り高源院では、これまで幾度も観音巡りの団体様をお招きさせていただきました。そんな中で、団体様をお連れするコーディネーターの方から、「ここのお寺はいつもきれいに掃除がなされているばかりか、お花も新しいものがお供えされていて、ありがたくなる」とおっしゃっていただいたことがあります。私はこのお言葉を、瑩山禅師様がおっしゃるように、堂内清掃を心がけ、香を焚き、花を供えるという日々の習慣が、人々に安心を与えることを、直接、教えていただいた愛語ととらえ、日々の修行の励みとさせていただいております。こうした習慣を生涯、継続していく大切さを再確認すると共に、一般の生活においても、自らの居住空間や仕事場をきれいに調えておくことの再度、確認しておきたいものです。それが充実した日常生活や、よき仕事へとつながっていくのです。