第53回「出家者の姿 -髪を剃り、壊色(えじき)の衣を着す理由(わけ)


汝等比丘(なんだちびく)、当に自ら(こうべ)()づべし。
(すで)
飾好(しきこう)を捨てて、壊色(えじき)の衣を(ちゃく)し、
応器(おうき)執持(しゅじ)して、(こつ)を以て自活(じかつ)す、自見是(じけんかく)の如し。
()憍慢起(きょうまんおこ)らば、当に(はや)く之を滅すべし


「弟子たちよ」―お釈迦様は再びお集まりになっているお弟子様方に語りかけます。「自ら頭を摩づべし」と―

「摩」には、「磨く」という意味があります。「自分の頭を磨く」ということですから、「髪を剃るということ」になるわけですが、ここで、剃髪(出家した僧侶が髪を剃って坊主頭にすること)の理由がお釈迦様より示されているのです。人間は髪の毛があれば、ついつい自分をかっこよく見せたいがために、髪をセットして、髪形を作りますが、それは髪に対するこだわりや執着でもあるのです。出家者はそうした観点に立った上で、髪を剃り落してしまうのです。「飾好を捨てる」とは、そうしたオシャレをして、自分を着飾らないようにすることであり、目立たないよう過していくことを意味しているのです。

次にお釈迦様は「壊色の衣を着す」とおっしゃっています。壊色というのは、「色を壊す」とあるように、赤や黄色といった派手な原色に黒や青を混ぜて、原色を壊す(薄める)ことで、「中間色」を指しています。こうした中間色は派手な印象を薄め、目立たないようにしていくことに一役買っています。出家者たるもの、原色を避け、中間色たる「壊色」の着物を身につけ、髪形同様、オシャレに自分を着飾らないようにとお釈迦様はおっしゃっているのです。

そして、「応器の執持」とあります。応器というのは、修行僧の所持品のひとつである「応量器(おうりょうき)」と呼ばれる食器のことです。ご本山等では、修行僧は自分たちの応量器を使って、作法に従いながら三度の食事を仏道修行としていただきます。また、托鉢という修行がございます。これは、お釈迦様以前から、古くインドで行われてきたご修行で、説法によって人々の苦悩を救うことができたならば、その御礼として、布施物(食)をいただくというものです。応器は修行者が一般の方からいただいた食を入れる器となるわけですが、仏の道を歩みながら生きていく者にとって、応器を執持しながら、自活していくこともまた、頭を摩づ(剃髪)ことや、壊色の衣を身につけること同様に、欠かすことができない行いであるということなのです。

こうした僧形が完成して身体の調整ができたならば、次は心の調整です。、慢の心が起こり、自分の心が調整できなくなるようなことになれば、早く調整することを心がけるようにとお釈迦様はおっしゃいます。慢は奢り高ぶることであり、尊大ぶることです。これは出家者としてあってはならないことですが、一般人も同じで、できるだけ慢の心を慎み、自分と向き合い、自らの心を調整する習慣を持つことが大切であることには変わりありません。