第1回「仏教の伝来=戒法の伝来」


()れ諸仏の大戒は、諸仏の護持し給うところなり。
仏仏の相授(そうじゅ)あり、祖々の相伝(そうでん)あり。
受戒
(じゅかい)
三際(さんざい)超越(ちょうおつ)し、証契(しょうかい)は古今に連綿(れんめん)たり。


西天東地(さいてんとうち)仏祖相伝(ぶっそそうでん)しきたれるところ、かならず入法(にっぽう)の最初に受戒(じゅかい)あり。戒をうけざればいまだ諸仏の弟子にあらず、祖師の児孫(じそん)にあらざるなり。」(道元禅師様著 正法眼蔵「受戒」より)

仏教は今から約2600年前、インドのお釈迦様が坐禅修行によって体得なさった悟りを根底に置いた「我々人間のあるべき生き方」が記されたみ教えです。仏教は西天東地(インドから中国、日本へと国を超えて伝わること)し、時代を経、人から人へと伝わり、今日まで連綿と受け継がれています。まさに、今回の一句の中にもあるように、「仏仏の相授あり、祖々の相伝あり」や、「三際(過去・現在・未来)を超越し、証契(師から弟子へと悟りが受け継がれていくこと)は古今に連綿たり」とある通りなのです。

仏教の伝来は、「坐禅の伝来」でもあります。そんな坐禅にスポットを当てて示されているのが「普勧坐禅儀」(道元禅師様著)や「坐禅用心記」(瑩山禅師様著)です。また、仏教の伝来は、「戒法の伝来」でもあります。戒法とは、「悪を断ち、善を勧める」という、仏教徒の生き方そのものを指します。そうした戒法に焦点を当てて説かれるのが「教授戒文」です。

冒頭に提示させていただいた道元禅師様の「正法眼蔵・受戒」のお言葉を参照するならば、仏道に入るには、受戒(戒をいただくこと)なしにはあり得ないと捉えることができます。また、戒を受け、戒を護持すること(戒法に従って生きていくこと)が、仏弟子たる仏の生き方を受け継いだ者の使命であるという解釈も成り立ちます。ということは、我々仏教徒は、日々、坐禅を行じて身心を調えることと同じように、戒法に則った日常を送ることも求められているということなのです。だから、戒法に対する正しい理解が必要になってくるのです。

戒について、これまで、当山HPでは、修証義の中で味わってまいりましたが、さらにもう一歩踏み込み、戒法にスポットを当てた「教授戒文」に触れながら、より一層、戒に対する理解を深めていきたいと思います。戒のみ教えが溶け込んだ言動によって、私たちは仏に近づくと共に、私たちの日常生活がより豊かなものになっていきます。それはお釈迦様以降、悟りを得た仏祖が仏仏相授・祖々相伝してきた中で証明されています。

そうした戒とのご縁を作り、あるいは、深めながら、充実した日常生活を送る足掛かりになることを願い、「教授戒文」を紐解かせていただきたいと思います。