第56回「
入道の人は則ち是の
是の故に
「
お釈迦様が戒められた「憍慢(尊大で横柄な態度)」と「諂曲」という言動に注意を払って、周囲の人々と関わっていくと、随分と人と関わることが心地よく、楽しくさえ感じられるようになるものです。人間の感情は、その時その時の状況で変化するもので、私自身、40年弱の人生を振り返ってみると、周りには負けまいと、随分、強気になっていた時期があったことが思い出されます。自分の存在が忘れ去られていくことだけは避けたい、また、そうなることが寂しくて怖かったのでしょう。それゆえに、まさにお釈迦様がおっしゃるような「憍慢」な人間になっていたように思います。そんな自分に気づいたとき、自らの言動を反省すると共に、肩ひじ張って強がるのをやめて、素直で謙虚な態度を心がけながら周囲と接してみるように心がけました。すると、会話に笑いが増えたり、表情に笑顔が出るようになったりして、随分と人と関わることが楽しくなってきたのです。
尊大で横柄だったからこそ、周囲が不快感を覚えて、警戒するのです。そうなってしまうと、周囲の人々とのトラブルが増え、人と関わることが苦痛にさえ感じるようになるのです。つまり、自分が「憍慢」とか、「諂曲」という態度を取ることが、自己を苦しめることになるのです。だから、お釈迦様は慎むようにとおっしゃるのです。そのことをしっかりと押さえておきたいものです。
そして、私たちが目指すべきは、「端心にして質直であること」です。心をきちんと調えて正しておくこと(端心)、そして、正直であること(質直)。この2つを心がけていくことが、周囲とのトラブルを減らし、穏やかな日常へとつながっていくのです。自分の心を偽って、取り繕うのではなく、正直と謙虚さを心がけながら、毎日を過ごすことを願うばかりです。