第2回「嫡嫡相授(てきてきそうじゅ) ―師から弟子へ―

わが大師釈迦牟尼仏(だいししゃかむにぶつ)摩訶迦葉(まかかしょう)に付授し、迦葉は阿難陀(あなんだ)に付授す。
乃至是
(ないしかく)
の如く、嫡嫡相授(てきてきそうじゅ)して、(すで)に幾世、堂頭和尚(どうちょうおしょう)に至る。


三学(さんがく)」とは、「戒・(じょう)()」という、仏道修行者が学び修するべき3つを指します。戒は「悪を断ち、善を修する」ことで、「教授戒文」では、道元禅師様による「戒を護持(ごじ)する(戒のみ教えと共に日常を生きる)仏道修行者のあり方」が示されていきます。「定」とは、「禅定(ぜんじょう)」のことで、大意には坐禅を意味します。すなわち、我が心と身体を穏やかに調えていくことです。「慧」は、「智慧(ちえ)」のことで、三毒煩悩(貪り・(いか)り・愚かさ)を断ち、真理を素直に認め、受け入れていくことです。「戒・定・慧」の「三学」は、決して、個別に存在しているものではありません。それぞれが密接に関わり、お互いに相手を含みながら、成り立っています。つまり、戒には定と慧の要素が含まれているのです。

前回、「仏教の伝来は戒法の伝来である」と申し上げました。仏教が今から約2600年前にお釈迦様(釈迦牟尼仏)が坐禅修行によって悟りを得たことに端を発し、インドから中国、そして、日本、さらには欧米諸国へと今日まで多くの祖師方によって伝えられてきた(嫡嫡相授)み教えであることは、これまで幾度も申し上げてまいりました。そのことを「三学」の観点から申し上げるならば、仏教の伝来は定(坐禅)の伝来でもあり、智慧の伝来でもあると捉えることができます。

そうした「三学」がお釈迦様から摩訶迦葉尊者に付授(伝わる)され、さらに摩訶迦葉尊者から阿難陀尊者へと付授されていったと道元禅師様はおっしゃっています。これは師から弟子へと仏法が受け継がれていくことで、「相承(そうじょう)」と言ってみたり、本文中の言葉を用いるならば、「嫡嫡相授」と言ったりします。阿難陀尊者以降、嫡嫡相授が幾度にも渡って成し遂げられて今、「堂頭和尚」へと伝わっていると道元禅師様はおっしゃいます。堂頭和尚とは、一寺院の住職を指します。すなわち、現時点においてお釈迦様から戒法を授かった存在であり、お釈迦様に成り代わって、我々に戒法を授けてくださる方のことです。

曹洞宗の根本宗典という位置づけにある「伝光録(でんこうろく)」は、瑩山禅師様が加賀・大乘寺(だいじょうじ)において、お釈迦様以降、瑩山禅師様ご自身までの師から弟子への仏法の嫡嫡相授について、会下の修行者たちにお示しになったことをお弟子様がまとめ、筆録されたものです。この伝光録を紐解いてみますと、今回、登場している迦葉尊者並びに阿難尊者についての記載が確認できます。それを最後に提示させていただきます。

摩訶迦葉尊者(まかかしょうそんじゃ) 摩掲陀国(まかだこく)のバラモン(インドの階級制度の一つで、その最高位にあるもの)出身。
お釈迦様の十大弟子のお一人で、頭陀行(ずだぎょう)(煩悩断滅のために、衣食住において厳格なまでに質素に過ごす修行)において釈尊教団第一の修行者。
頭陀行に対して、あまりに熱心に取り組むあまり、周囲には姿形がみすぼらしく見え、警戒された。そのため、お釈迦様がご自身の席を半分譲り(半座を分かつ)、説法の場を与え、その偉大さを周囲に知らしめた。
お釈迦様が霊鷲山(りょうじゅせん)で説法をなさったとき、お釈迦様が拈じられた金波羅華(こんぱらげ)の意を、その場で唯一、理解し、にっこり微笑んだことによって、お釈迦様から仏法を付授される。
阿難陀尊者(あなんだそんじゃ) お釈迦様の従弟にあたる人物で十代弟子のお一人。容姿端麗、聡明博達。お釈迦様が成道なさったときにお生まれになったとされる。お釈迦様の侍者(じしゃ)(側近)として20年間、お釈迦様に付き従う。誰よりもお釈迦様のみ教えを多く聞き、記憶していたという意味で「多門(たもん)第一」と評される。それはあたかも「一器の水を一器に伝えるがごとく、少しも遺漏なき」ものであったと伝えられている。そうした自分の見解等を一切混ぜ込むことなく、お釈迦様のみ教えを只管聞き続けたことによって、迦葉尊者から仏法を付授されると共に、尊者の侍者としても20年付き従う。