第51回「曹洞宗門の坐禅C 四安楽行(しあんらくぎょう)遊戯(ゆけ)する―


只諸仏の自受用三昧(じじゅようざんまい)に安住して、菩薩の四安楽行(しあんらくぎょう)遊戯(ゆけ)す、()豈仏祖深妙(あにぶっそじんみょう)の行に(あらざ)らんや


お釈迦様から脈々と伝わる坐禅という行について、凡夫の眼で計ったつまらないことや小難しい理屈など一切、持ち込むことなく、坐禅の世界に身を投じていくと、次第に、六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)が調い、坐禅が有する様々な仏のみ教えに出会います。坐禅を行ずることそのものが、仏の行を行ずることであり、仏に近づくことになるのです。

そうしたお釈迦様のお悟りの境地に近づき(諸仏の自受用三昧に安住する)、身心共々に安楽の境地に至る(四安楽行に遊化す)ことが、坐禅のもたらす摩訶不思議な境地に他ならないと瑩山禅師様はおっしゃっています。それが「仏祖深妙の行に不らんや」の意味するところです。

ここで、「四安楽行」について、少し、触れておきたいと思います。これは安楽を得るための四つの行法のことです。

身安楽行 身体に安楽をもたらす修行
口安楽行 悪しき言葉を発しないようにすること
意安楽行 心の中から煩悩等の悪しきものを遠ざけること
誓願安楽行 仏のお悟りを得て、人々の救済を誓願すること

仏の行たる坐禅は、私たちの身心に生じやすい煩悩などの悪しき存在を遠離させ、私たちを調え、安心を与えてくれる善なるものとのご縁を深めてくれるのです。何も特別なことを期待しなくとも、坐禅そのものが私たちに「安楽の提供」という功徳をもたらせてくれる行なのです。