第3回「仏祖の慧命(えみょう)嗣続(しぞく)する −私たちの“使命”―


(まさ)に付授して、慎んで仏祖の深恩(じんおん)に報い、永く人天(にんでん)の眼目と為さんとす。
(けだ)
し是れ、仏祖の慧命(えみょう)嗣続(しぞく)すればなり。


「108歳の禅師様」と呼ばれ、僧俗問わず多くの人々に慕われた大本山永平寺七十八世・宮崎奕保(みやざきえきほ)禅師様(1901−2008)は、自著「仏性を生きる ―十六条戒の日ぐらい―」の中で、「戒というのは、いましめることだと受け取って、あれもこれもするなという禁制のように思われるかもしれませんが、そうではありません。本来の立派な本性に立ち返ることが戒なのです。自分のなかにある真理を呼び覚ますことなのです。」(原文ママ)とお示しになっています。この宮崎禅師様のご見解は、戒を正しく理解し、そのみ教えと共に日常生活を送る上で、是非、押さえておきたいところです。戒は禁止事項でもなければ、他から強制され、自らに強引に言い聞かせていくものではないのです。自発的に悪を断ち、善を修することであると同時に、自分が元来有していた仏の心や性質(仏性)の存在に目覚め、お釈迦様がお悟りになった真理だとか、この世の仕組みに気づいていく上で欠かせぬみ教えだということです。

そのことを踏まえ、是非、戒とのご縁を結び、仏に近づく機縁が育まれることを願うのですが、「今将に付授して」とあるように、戒の付授とは、戒とは何かを学び、教わると共に、自己の生き方として実践していくのを誓うことでもあります。そして、道元禅師様は戒が「人天の眼目である」とおっしゃいます。眼目は要点のことで、戒が人間界や天上界始め、六道世界におけるあらゆる存在の指導者であることを説き示しているのが、「人天の眼目」です。

そんな「人天の眼目」たる戒とのご縁が育まれ、私たちが戒のみ教えと共に生きてくことができるならば、戒とのご縁を結んでくださった仏祖の恩に感謝せずにはいられなくなるはずです。それが「仏祖の深恩に報いる」ということです。戒とのご縁が育まれることで、私たちは宮崎禅師様がお示しのように、自己の本性に目覚め、真理に気づくことができます。こうして私たちが仏の提示する正しい生き方を修していく中で、日常生活も味わい豊かなものになっていくのです。それが実感できるようになれば、仏祖の深い恩に感謝せずにはいられなくなるはずです。

そうした仏祖の深いご恩に報いる生き方を生涯に渡って意識して続けていくことが、「仏祖の慧命を嗣続する」ということです。嗣続は「相承」や「単伝」ということで、仏法の灯を絶やすことなく燃やし続けることを意味しています。慧命とあるのは、智慧(仏の悟り)を有した仏のいのちということです。私たちが「仏祖の慧命を嗣続する」(「人天の眼目」たる戒のみ教えに従って日々を過ごし、仏に近づいていく)ことは、戒を付授する仏の願いであり、この人間世界にいのちをいただいた者の使命(命の使い方)でもあります。その使命を果たすためにも、是非、戒とのご縁を育んでおきたいものです。