第4回「帰戒(きかい)懺悔(さんげ)を目指して」

仰いで仏祖の証明(しょうみょう)()って、応に帰戒懺悔(きかいさんげ)すべし。至誠(しいじょう)(ことば)に随って伝唱(でんしょう)せよ。


私たちが仏の戒法に従って日々を過ごすことには、2つの大きな意味合いがあります。一つには、私たちが仏に近づき、よき人間になることであり、二つには仏の慧命を継ぐことです。特に、後者は私たち一人一人に与えられた「生きる課題」であると共に、それによって、お釈迦様のみ教えが今日も伝わっていることは否定しようもありません。

そんな仏祖の戒法を、師が弟子へ伝授することが「授戒」です。逆に、弟子が仏門に入り、師から仏の戒を受けることが「受戒」です。古来から伝わる授戒の作法に則り、師から戒法を授かったとしても、自分の身体に戒法が刻み込まれ、戒のみ教えに従って過ごせているかどうかは、師の判断に頼るところであるというのが、「仏祖の証明に馮って」の意味するところです。師は自身の師より戒法を授かり、日々の修行の中で、師から仏祖の証明をいただくことができた存在です。そんな師から仏祖のみ教えに従った生き方ができていることが認められなくては、戒法を授かったとは言えないというのです。

そうやって師が仏祖に成り代わって授戒の証明がなされたならば、「帰戒懺悔」するようにと道元禅師様はおっしゃっています。帰戒とは、戒法に帰依することです。我が言動を何よりも戒法に従い、悪を断ち、善を修しながら過ごすことを常に心がけていくことが「帰戒」の意味するところです。

そうした「帰戒」を実践していくとき、必然的に「懺悔」の必要性が生じてきます。「懺悔」は一般的には“ザンゲ”と読むことが多いようですが、仏教では“サンゲ”と読み、自分が犯してしまった罪科を、二度と繰り返さないことを誓い、実践していくことを意味しています。戒法に帰依し、懺悔修行を通じて、私たちは仏に近づき、よき人間になるのです。

そうした懺悔修行を行う際に、口に幾度も発していきたいのが「懺悔文」です。これを「至誠」、十分に心を尽くしながら、文言を意のままに解しながら、我が語として発していくことで、懺悔修行が成立していきます。そんな「懺悔文」を、次回は味わってみたいと思います。