第8回「現前三宝 −眼前に存在する宝と向き合う−


現前(げんぜん)して菩提(ぼだい)(さと)りたまいしを仏宝と名づけ、
仏の証りたまいし所は是れ法宝、仏と法とを学びしは乃ち僧宝なり。
是れを現前三宝と名づく。


今回は「現前三宝」という側面からのお話です。「現前三宝」というのは、仏法僧の三宝が、いずれも現前した(私たちの眼前に姿を現すこと)存在ばかりであるということです。人間の歴史の上で、坐禅を通じて、この世の真理を悟り、周囲のいのちに救いの手を差し伸べられたお釈迦様という仏が存在していたのは事実です。すなわち、仏は現前した存在であったということです。

その仏が多くの人々を救ってきたという意味では、まさに前回の橋本老師のお言葉が指し示しますように、“宝”であります。それが「菩提を証りたまいしを仏宝と名づけ」の意味するところです。そして、仏が悟った真理が全てのいのちを救う法もまた、“宝”であることを意味しているのが、次の「仏の証りたまいし所は是れ法宝」の意味するところです。

そんな仏宝や法宝を自ら実践し、「仏の慧命を嗣続してきた方々」が僧です。曹洞宗の両祖様である道元様や瑩山様始め、各宗の開祖様や祖師方など、大勢の僧の存在によって、仏・法は今日まで伝えられると共に、多くのいのちを救ってきました。まさに僧もまた、“宝”であり、「仏と法を学びしは乃ち僧宝」なのです。

仏法僧の三者共々が一体の存在である「一体三宝」、そして、三者全てが現前したという事実を意味する「現前三宝」。三宝を形成する仏・法・僧の全てが自他を救う宝であることもまた、再確認しておきたいところです。