第65回「遠離の人 −
是の故に当に
11月に入り、再び新型コロナウイルスが猛威を振るい始めました。これから冬に向かう中で、一体どうなるのか、誰もが不安な毎日を過ごしていますが、私たちの周りを見渡せば、自然災害やミサイル、殺人鬼に交通事故と、コロナのように、自分の身心を混乱させ、冷静さを失わせる存在は数え上げればきりがないような気がします。そうした存在があることを知った上で、もし、自分の眼前に現れるなどして、自分と関わることになった場合をある程度は想定し、冷静に対処できる策を予め準備しておくことが大切になってくるように思います。そうすれば、脅威の存在に対して冷静に関わっていくことができるでしょう。それが、お釈迦様がお示しになっている「
そうした「遠離」が実践できる者(遠離の人)は、帝釈諸天でさえもが敬い、尊重する存在であるとお釈迦様はおっしゃっています。帝釈天は仏法の守護神です。自らの中に発生した三毒煩悩を表出させることなく、自らの身心を調え、どんな状況であっても、冷静に言葉・言動が提示できる「遠離の人」に対して、人は安心感を覚え、全幅の信頼を寄せますが、それは人のみならず、仏教の世界における神様も同じであるとお釈迦様はおっしゃっているのです。
だからこそ、「己衆他衆を捨てて、空閑に独処して、滅苦の本を思うべし」とお釈迦様はおっしゃいます。「己衆他衆を捨てる」とは、己衆(自分や自分の身内)がどうだとか、他衆(他人との関わり)がどうだと、自分と周囲の関係に対して、心を乱し、冷静さを失った言葉や態度を発しないようにすることです。日々の生活の中で、人でもモノでも、何かとと関わるとき、自分が心乱れることがないよう、冷静さを保つことが大切です。それが「空閑に独処する」の意味するところです。それは、たとえてみるならば、静かな空間で、誰にも心乱されることなく、落ち着いて過ごすようなものです。
そうやって「滅苦の本を思うべし」とお釈迦様はおっしゃるわけですが、自分を混乱させ、苦しめる存在に対して冷静に関われるよう、その本(対処法)を考えておくようにということです。とにかく、「遠離」ということが、日常の自分のあり方となるよう、自分の身心を調え、できるだけ混乱することがないよう、冷静に過ごすことを目指していきたいものです。