第67回「老象が自力で泥沼を出るとき」


世間の縛著(ばくじゃく)衆苦(しゅく)に没す。
(たと)えば老象の(でい)(おぼ)れて、(みずか)()づること(あたわ)ざるが如し。
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れを遠離と()づく。


新型コロナウイルス感染拡大の中で発生した“トイレットペーパーがなくなる”というデマを一例に挙げてみてもわかることですが、人間は不安や焦り、怒りといった感情によって冷静さを失ってしまうと、どんな行動に出るかわかりません。普段では考えられないくらいの量のトイレットペーパーを一人で買い占めてみたり、品物がないからといって店員さんに暴言を浴びせたりと、感情的になっている者の周囲では、トラブルや争いが発生し、関係者全員が苦悩を味わうことになります。「世間の縛著」というのは、そうした私たちの日常生活の中で発生するトラブル等の諸問題で、それらは私たちを縛り付けて自由に行動する機会を奪うと共に、「衆苦に没す」とあるように、私たちを苦悩の渦の中に巻き込んでいきます。

このことを、お釈迦様は再び明快な譬えを用いながらお弟子様方にお示しになっています。前回は「大樹(だいじゅ)衆鳥(しゅちょう)」という、大木に集う鳥の大群での喩えでしたが、今回は「老象の泥に溺れて、自ら出づること能ざるが如し」とありますように、泥沼にはまって、自力で脱出を試みようにも、できなくなっている老いた象の喩えを用いて、「遠離」をお示しになっています。自分の感情をコントロールしない限り、トラブルの渦中から脱出することができず、苦悩が付きまとうだけだとお釈迦様はおっしゃっているのです。

もし、今、何らかのトラブルの渦中にいて、苦悩する日々を過しているとするならば、一旦、その場から距離を取って、冷静に自分を振り返ってみることをお勧めします。「何が原因でトラブルが発生したのか」、「自分の言動に何か反省点はないか」、「そもそも自分が原因を作ったのではないか」。一人冷静に考えるべきポイントが多々見えてくることでしょう。あたかも老象が泥沼の中でじっとしているように、自分と向き合ってみるのです。そして、自分の中で何らかのた回答が見えてきたとき、再びトラブルが起こっている関わりの中に戻り、解決の方向へと進めていくのです。そうした流れを問題が解決するまで根気よく繰り返していくのです。そうすると、老象は泥沼から自力で脱出できるのです。それが「遠離」なのです。