第10回「三宝帰依の日暮らしを」

仏法僧に帰依したてまつりし時、諸仏の大戒を得たりと()う。
仏を()げたてまつりて師とし、(ほか)(みちび)きを師とせざれ。


道元禅師様のお示しに従い、仏法僧の三宝を3つの観点から味わってまいりました。仏法僧の三者は別個の存在ではなく、相互に関わり合いながら、一体となって私たちに救いの手を差し伸べてくれる宝であるという「一体三宝(いったいさんぼう)」。三者全てが私たちの眼前に現れ、私たちと関わっているという「現前三宝(げんぜんさんぼう)」。そして、お釈迦様以降、三宝に帰依する人々が三宝と和することによって、三宝が今日まで受け継がれてきたという意味での「住持三宝(じゅうじさんぼう)」。日々の生活の中で、三宝とのご縁ができたことによって、三宝を宝のように敬っていくことが、「仏法僧に帰依する」ということです。つまり、困ったときには仏に救いを求め、迷ったときには法を頼みとし、仏と法に和する者同士が、お互いに助け合いながら、仲良く過していくということが「三宝帰依」なのです。

そんな三宝に帰依できたとき、「諸仏の大戒を得たりと称う」と道元禅師様はおっしゃいます。「戒」はお釈迦様がお悟りになると共に、それ以降、仏・法に和し、仏の慧命を嗣続してきた祖師方が行じてきた“仏の生き方”です。また、それは大きいとか、小さいとかサイズがあるのではなく、無限の広がりと計り知れぬ奥深さを有した計り知れぬものです。それが「大戒」の意味するところです。

そんな大戒と私たちとのご縁を結んでくださったのがお釈迦様であり、そのみ教えを受け継いできた祖師方です。そうしたつながりの中で、一人でも欠けていては、私たちは大戒とのご縁をいただくことはできませんでした。だから、「仏を称げたまつりて師とし」と道元禅師様はおっしゃるのです。お釈迦様始めとする悟りを得た仏様に対して、“称揚”とか、“称号”とあるように、褒め称え、持ち上げていらっしゃるのです。そうした思いが帰依という姿勢に表れ、“称”という一文字からにじみ出ているような気がいたします。

そして、そうした偉大で絶対的な師だからこそ、道元禅師様は「余の道きを師とせざれ」とおっしゃって、お釈迦様への帰依の姿勢を明確になさるのです。そこには、決して、他の方を師と呼び、帰依するという、浮気する姿はありません。お釈迦様一筋です。そうやって、仏に帰依しているからこそ仏なのであり、何より仏のみ教えである「法」に従って生きているから仏であり、仏や法に標準を合わせ、和していこうとするから仏なのでしょう。もし、仏がそうした姿勢を崩してしまえば、たちまち、仏ではなくなってしまうのです。

即身是仏(そくしんぜぶつ)」という言葉がありますが、本来は私たち一人一人が仏の性質を有した仏です。日常を振り返ってみると、ご両親始めご先祖様からいただいた身心を使って、恥ずべき言動を取ったり、周囲に不快感を与えるような言葉を発したりしてしまうことが多い私たちかもしれませんが、そんな私たちでも、実は自分の中に仏の種が眠っているという仏のみ教えを信じてみることが大切ではないかと思います。そうやって私たちの身心が磨かれ、仏に近づいていくのです。それが「三宝帰依の日暮らし」なのです。