第70回「不忘念 −正法を心に留めて−」
汝等比丘、善知識を求め善護助を求むることは、不忘念に如くは無し。
「八大人覚」の五つ目となるのが「不忘念」です。これは「「忘れることなく、(我が身に)念じ込んでおくように」というお釈迦様からのメッセージなのですが、それでは、我々はどんなことを常に念じながら毎日を過ごしていけばいいのでしょうか。
お釈迦様が涅槃(悟り)に至るための八本の道としてお示しになった“八正道”の一つに、「正念」があります。常に正しい道(正法)を心に留めて過ごすようにということなのですが、この正法というのがお釈迦様がお示しになった涅槃への道です。それは何か一点に偏らない道であり、捉われない生き方であり、“中道”と呼ばれるものです。中道を心がけているから、自分の好きなものだけを大切にしてみたり、価値を認めたりするような、偏った関わり方をすることがなくなるのです。中道を意識していなければ、自分が選んだものだけを重視し、選ばれないものの価値を認めることなく、敬遠してしまいます。そして、そうした関わり方が三毒煩悩(貪り・瞋り・愚かさ)を生み出していくことは、これまで幾度となく学ばせていただいた通りです。それらを踏まえ、お釈迦様は中道の生き方を行じていく上で、「正念」という、常に「正法を心に留めるのを忘れないこと」の大切さをお示しになっているのです。
それは「善知識を求め善護助を求めることよりも大切である(如くは無し)」とお釈迦様はおっしゃいます。善知識は正法を説いて、正しく導いてくださる師匠であり、道を同じくする仲間のことです。また、善護助は正法を念じながら、手を貸してくれる存在です。仏道はもちろん、芸術でもスポーツでも、どんな世界でも、道を体得していく上で師の存在は欠かせません。しかし、お釈迦様は仏道においては、まずは「正法を我が身に念じ込もう」という意識を常に持ち続けることが肝心であるとおっしゃっています。なぜならば、そうした意識があるからこそ、善知識なる善き師・善き仲間とのご縁ができ、善護助なる存在の援助をいただいて、仏の道を悟りに向かって真っ直ぐに進もうとするからです。
何よりもまず、正法を体得できるよう、そのことを常に念じながら、正なる言葉を発し、正なる言動が提示できるよう、毎日を過ごしていきたいものです。