第72回「安心のある生き方とは? −正法を意識して生きる―

()し念を失する者は則ち諸の功徳を失す。
若し念力堅強(ねんりきけんごう)なれば、五欲の賊の中に入ると(いえど)も、為に害せられず。
(たと)
えば鎧を()て陣に()れば、則ち(おそ)るる所なきが如し。
()
れを不忘念と名づく。


令和3年1月10日(日)。3連休の真っ只中となったこの日、8日から降り始めた雪で金沢市内の各所では、地域住民が協力し合いながら除雪に汗を流す姿が多々、見受けらえました。金沢市内で45a、お隣の富山市では124a(1月9日午後7時時点)とのことで、平成30年2月以来、3年ぶりの大雪の冬を迎えています。特に、9日の日中は短時間で雪が降り積もり、こうした降雪を“ゲリラ豪雨”ならぬ“ゲリラ豪雪”とまで言うそうです。

こうして雪が降ると、私のお寺は除雪箇所が広範囲なこともあり、早朝5時から除雪に出ることにしています。そうやって朝早くから除雪をしておくことで、日中の檀務(ご法事や月参り)も支障なくこなせるのですが、多くの一般家庭の場合、まだ日の射さぬ早朝から除雪を行うことは、ほとんどないと思います。たいていは、明るくなってから、日中の時間帯に行うことが多いのではないかという気がします。

そうした中で、近隣の者同士が和気あいあいと協力しないながら除雪に汗をながせればいいのですが、悲しいかな、「雪が降ると、その人間の本性が見える」と言われるように、降雪時における雪のトラブルはつきものです。除雪した雪の捨て場を巡るトラブル、交通事故等による交通障害など、雪に対して、まさに、お釈迦様がお示しになっているように、我が身心を調え、冷静に関わっていかい限り、トラブルを避けることは難しいでしょう。非日常的な雪を前に、沸き起こってきた三毒煩悩(貪り・瞋り・愚かさ)の賊を調整することができず、トラブル三昧の日々を過ごすことだけは避けたいものです。雪が降った時始め、災害など緊急時こそ、高鳴る感情をコントロールして冷静になり、周囲と仲良く協力し合えるような自分でありたいものです。

お釈迦様が「不忘念(正法を常に意識して過ごすこと)」というみ教えを通じて、今回、お示しになっているのは、まず、「念を失する者は則ち諸の功徳を失す」とありますように、正法を意識するのを忘れ、自分の好き放題、わがまま勝手に振る舞う者は誰からも信頼されなくなるということです。“念を失す”とは、“失念”という言葉がありますように、周囲の信用を失うことを意味しています。

それに対して、「念力堅強」とあるように、「不忘念」が常に意識できる者ならば、「五欲の賊の中に入ると雖も、為に害せられず」、たとえ自分の中に三毒煩悩が発生しても、それによってトラブルに見舞われることがない、すなわち、害が発生しないというのです。「念力」というのは、「五力(信力・精進力・念力・定力(じょうりき)慧力(えりき))の一つで、持続力のことです。正法を常に意識し続ける力を持つことは、「鎧を著して陣に入る」ようなものであるとお釈迦様はおっしゃいます。すなわち、畏れるものが何もなくなるということです。つまり、仏のみ教えに従って日々を過ごすことが、あらゆる恐怖や不安から逃れ、安心した日常生活を送る最善の方法であるということなのです。

どんな状況にあっても、自分の身心を調え、穏やかな態度で、物静かに言葉を発することを意識して過ごすことが、恐れのない、安心のある生き方につながっていくということを、お釈迦様は「不忘念」のみ教えを通じて、我々にお示しになっています。そのことを忘れることなく、我が身に念じ込み、毎日を過ごしていきたいものです。