第69回「天童の宗風 “生死事大(しょうじいだい)”・“無常迅速(むじょうじんそく)”の自覚

(まさ)生死事大(しょうじじだい)無常迅速(むじょうじんそく)なるに、道眼未(どうげんいま)(あきら)かならず、
昏睡
(こんすい)
何ぞ()さんと観ずべし。
昏睡(しき)りに来らば(まさ)発願(ほつがん)して業習已(ごうしゅうすで)に厚し、故に今睡眠蓋(いますいみんがい)を被むる、昏蒙(こんもう)何の時か醒めん、
仏祖大悲
(ぶっそだいひ)
()れて我が昏重(こんじゅう)の苦みを抜かんことを願ふと()ふべし。

―「當に生死事大、無常迅速なるに」―

「生死事大」とは、生老病死の現実を我が事として受け止めることです。
禅家にとって、生まれる(生きる)ことと死ぬことを含む生老病死の問題について、決して、生を好み、死を忌み嫌うといった自分の都合だけで、現実を分別することなく、万事を我が身に起ることと受け止め、そこに仏道を反映させ、仏に近づいていくことが求められます。すなわち、自分自身がどうやって仏法と共に生き、どう死を迎えるかを明確にすることが「生死事大」なのです。これは、かの修証義の「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり」とも通じるものです。

「無常迅速」は、万事が時間の流れの中で絶えず変化し、人のいのちも、いつどうなるかわからぬはかないものであるということです。これも修証義の「無常憑み難し」に相通じます。

こうした「生死事大」、「無常迅速」というみ教えは、出家者のみならず、在家にあっても、こうして禅家とご縁をいただいた全ての者が我が人生における標語として、常日頃から意識して日々を過ごしていきたいものです。

そんな「生死事大、無常迅速」を会下の修行僧たちに説き、自ら坐禅に身を投じ切った生粋の禅僧が天童如浄(てんどうにょじょう)禅師様(1162−1227)です。既にご承知のように、如浄禅師様は道元禅師様が中国にご修行に赴かれた際に、師と仰いだ方です。後に、道元禅師様が高弟・弧雲懐弉(こうんえじょう)禅師様始め会下の修行僧たちに、如浄禅師様の禅風を語っていらっしゃいます。(参照:「正法眼蔵随聞記 2の(10)“我れ大宋天童禅院(だいそうてんどうぜんいん)(きょ)せし時」)

大宋天童禅院において、住持(じゅうじ)(最高責任者)であった如浄禅師様は修行僧と共に夜は11時頃まで坐禅を行じ、朝は2時半頃から起きて一日中坐禅に身を投じる日常をお送りだったそうです。これは相当に厳しいご修行で、修行僧の中には坐禅中に眠りこける者もいれば、体調を崩すものも出てきたそうです。しかし、それでも如浄禅師様は坐禅を続けると共に、眠る修行僧を拳や履物で打ったり、鐘を鳴らしたり、ロウソクを灯して明るくするなどして、修行僧たちの睡魔除去を試みになりました。現代の視点から見れば、行き過ぎとも思えるような荒々しく見える行いですが、これらは前段のお言葉を用いるならば、「方便」と捉えることもできるでしょう。

そうした厳しい方便を用いながら、如浄禅師様はおっしゃいました。「世間の帝王・役人は昼夜問わず、国王としての道を修め、国の為に身を粉にして働いている。また、一般庶民は苦労して田畑を耕して、生計を立てている。誰一人として、安楽な生活を送っている者などいないのに、そうした苦労から逃れ、禅の世界に身を投じながら、眠りこけて、為すこともなく時間を費やすなどとはどういうことか!諸行無常という、いつどうなるかわからぬいのちを生かされている者が、人間の生死を明らかにすることこそ、禅家にとって大切な営みなのである。」と―。道元禅師様はこうした如浄禅師様のお示しを「天童の宗風」と呼び、仏道修行者は手本とすべきであるとおっしゃっています。

こうしたエピソードに思いを馳せれば、未だ坐禅によって、道眼(物事の道理を正しく把握する能力)明らかでないにもかかわらず、坐禅中に居眠りをすること自体があり得ないことであるという論理展開になっていくのは誰しも頷けることです。ですから、坐禅中に居眠りすることがないようにするためにも、「三不足の戒め」の中にもあったように、日頃から睡眠不足にならないように注意することが欠かせません。「業習」という言葉が使われていますが、これは仏教における業思想(善果にはよき原因が、悪果には悪しき原因がある)です。すなわち、坐禅中に眠ってしまうという結果をもたらす原因を掴むことが肝心であるということです。

経行に始まり、冷水を被ったり、菩薩戒の序を誦したりと、様々な方便が登場いたしましたが、いずれの方法を用いるにしても、睡眠蓋(坐禅の妨げとなる眠気)を被って、坐禅が中断することがないように、仏祖に発願することが最終的な睡魔除去の方策であると瑩山禅師様はおっしゃっています。この根底には坐禅との仏縁を育んでくださった仏への深い帰依だけは外せないことを最後に一言、申し上げておきます。