第76回「道人(どうにん)の在り方 ―“智慧(ちえ)省察(しょうさつ)”の習慣化―

()れ則ち我が法中(ほっちゅう)(おい)て能く解脱(げだつ)()
若し(しか)らざる者は、既に道人(どうにん)に非ず、又白衣(びゃくえ)に非ず、名づくる所なし。

「我が法中(釈尊教団において、釈尊のみ教えの真っ只中にあること)において、「智慧」を体得できている者は、「解脱(悟り)」を得ているとお釈迦様はおっしゃっています。仏道修行者にとって、智慧のある日常生活を送ることができているかどうかの省察(しょうさつ)(逐一チェックすること)が欠かせません。お釈迦様のみ教えに従い、仏法と共に日々を過ごしているか、三毒煩悩を調整し、仏の悟りを踏まえた言動が提示できているか、智慧のある日常を確かめるチェックポイントは多々あります。

そうした智慧のある日常生活を省察することを怠る者、省察した上で、更なる精進が必要なのに、その自覚に乏しい者、そうした者は道人(出家者・仏道修行者)とは言えないとお釈迦様はおっしゃいます。これは合点がいくことでしょう。

ところがお釈迦様は、さらに「白衣に非ず」ともおっしゃっています。「白衣」というのは、純白の衣そのものではなく、「在家人」を意味しています。つまり、道人たる出家者の対極にある者が「白衣」ということなのですが、これは、インドにおいて、在家人は白い着物を身につけ、出家者は色の着物を着ていたことが起源となっています。

智慧の省察を怠り、精進しようとしない者は、出家者でもなく、在家人でもなく、何とも名づけようがないというのが、今回のお釈迦様のお示しの内容です。これは智慧の省察や道の精進というのは、何も出家者だけに求められることではなく、在家人の中にも行っている人は多々いらっしゃるということです。言い換えれば、だからこそ、出家者は「智慧の省察」と「道の精進」を確実に修したいのです。

当山のHP「仏教講座」では、“人に学ぶ”というコーナーを設け、著名人始め、メディア等で紹介されている様々な分野の人々を紹介させていただき、その生き様を学ばせていただいております。取り上げさせていただいた方のほとんどが、自らの道を歩まれる中で、智慧を省察し、道に精進している在家の方ばかりです。そうした在家の方は、他にも数多いらっしゃることでしょう。道人の端くれたる住職も、不退転に道を歩む在家の方の生き様からも色々なことを学ばせていただき、日々、仏道を精進していきたいと願っております。