第81回「
怨賊
汝等但
本日(令和3年3月14日)は住職地である
私たち人間が生きていく上で、涅槃(お釈迦様のお悟り)に少しでも近づいていくことによって、安心のある日常生活が送れるようになるのは言うまでもありません。「八大人覚」というのは、その具体的な方法が示されたみ教えなのです。そんな「八大人覚」を踏まえ、お釈迦様はさらにもう一歩踏み込んで法を展開なさっていきます。それが今回から提示される箇所です。いよいよお釈迦様の最期のみ教えも最終箇所に突入していきます。
お釈迦様はこれまで同様、「汝等比丘(弟子たちよ)」とお弟子様たちに穏やかに語り掛け、教えを発されます。まず、「諸の功徳に於て、常に当に一心に諸の放逸を捨つること怨賊を離するが如くすべし」とあります。お釈迦様は、我々が日々の生活の中で善行を心がけながら過ごす上で、怨賊(盗人)を避けるが如く、放逸(勝手気ままな振る舞い・善行を心がけようとしないこと)を避けるようにしていくことを願っていらっしゃるのです。「放逸」を慎むことに関しては、これまでもお釈迦様から発せられてきました。これは私たちが少しでも涅槃に近づいていく上で、欠かすことができないことなのです。そして、こうした放逸を生み出すものを、我が身から遠ざけながら、自らを調えていくことが、八大人覚の中で示されてきた「
そうやって、お釈迦様は正法を念じ、それを「勤めて行ずる」よう、我々にお伝えになっています。その根底にあるのは、「大悲世尊所説の利益は、皆巳に究竟す」というお言葉です。「世尊」というのは、お釈迦様の別称で、「この世における尊い存在」という意味があります。その世尊は「大悲」という言葉が付されているように、「人々の苦悩を救済し、安楽を与えることができる」存在なのです。そして、そんな世尊が所説(説き示してきたみ教え)のご利益・功徳については、究竟(行きつくところまで行きついた至極の所)であるが故に、我々は仏法の大海に安心して我が身を投げ入れ、帰依していけばいいということになるのです。
自分の勝手な解釈を捨てて、お釈迦様のみ教えに従い、我が身心を調えていく―そうした仏法僧の三宝に全幅の信頼を以て我が身を委ねていく中に、安心のある日常生活が実現されていくのです。それが「涅槃」の境地なのです。