第6回  「中道(ちゅうどう) ―偏らず、何ごとも受け止めていく―

是時(このとき)初めて生死(しょうじ)(はな)るる(ぶん)あり
唯一大事因縁(ただいちだいじいんねん)究尽(ぐうじん)べし


私たちが生かされているこの世のしくみを知ること。その上でどうすればいいかを体得すること。私たちの一生涯(生死(しょうじ))に仏様とのご縁を結べるならば、苦しみが和らいでいくというのが、前回の「生死即涅槃(しょうじそくねはん)」ということです。生老病死は人間が生きていく上で誰もが避けては通れぬ問題です。その避けられない問題に対して、お釈迦様とのご縁を頼みの綱として、真正面から向き合っていくならば、「生と死の分別から離れることができる」というのです。

お釈迦様のみ教えに「中道」というのがあります。これは30pの真ん中の15pの一点を指すということではなく、どちらにも偏らないこと、どちらも受け止めていくということです。

私たちのまわりには様々な対立概念があります。たとえば、大と小、多いと少ない、明るいと暗いなど・・・。そうした概念に対して、自分の思いで好き嫌いを分別して、好きな方に傾き、嫌いなものを避けようとするのが私たちです。

しかしながら、本来は大きいものには大きいものの、小さいものには小さいもののいい面もあれば、悪い面もあるのです。何事も両面があります。自分の好みだけで判断すると、片方しか見ないので、どうしても見方が偏ってしまいます。両面を見て、よい面も悪い面も受け止め、総合的に判断していくのが「中道」のみ教えなのです。

「生死を離るる分あり」はまさに、「中道」が実践できた状態です。そういう偏らずに何事も受け止めていける状態で自分たちの生き方と死に様を明らかにしながら日々を過ごしていくことが「一大事因縁と究尽すべし」の一句に表れています。大切なことだからしっかりと参究し尽くしておこうということです。