第22回 脚下照顧(きゃっかしょうこ)


自己反省を怠らない


お寺の入り口に「脚下照顧」と書かれた札が置かれているのを目にすることがあります。“脚下”とは足元のことであり、”照顧”は用心、すなわち、注意を払うことです。自分の足下という最も身近で、自分もよくわかっているような気がする場所ですが、あまりにも身近すぎる場所のためか、実はわかているように思えて、あまりわかっていない場所でもあります。そうした自分の足下にもしっかりと注意して、自己反省を怠らないことが、脚下照顧の説くところです。

人間の目は外を見るようにして働きます。そのため、私たちは周囲の状況ばかりに目が向いてしまい、自分の内面に対しては、自分で意識しない限り、中々、注意を払えないものです。

かく言う私も、人の欠点や不十分な面ばかりに目が向いてしまい、それを指摘することが多くなった時期がありました。今思えば、この頃の私は自分自身を見つめ、十分に反省することがないままに、人様の粗探しばかりしては、それを口にせずにはいられなかったように思います。

そんな私が、あるとき、ハッとさせられたことがありました。個室で外線電話を使って外部の方とやり取りをしていたとき、室内の状況を確かめず、大きな音でノックをして、元気よく入ってきた人がいました。私は彼に「中の状況を確かめてから入室するように」と注意しました。ところが、後日、私も他の方に対して同じことをしてしまい、当人に謝罪すると共に、自分が人様に注意したことと同じことをしていたことを反省させられたのです。それ以来、私はつとめて自分の言動に厳しく、より一層の自己反省を心がけるようにしております。そうした自分に目を向け、意識を働かせていくことが「脚下照顧」なのです。

自分をよくよく省みると、意外と人様に注意していることと同じようなことを自分もしていることに気づかされます。そこに気づいたとき、荒々しかった言動が穏やかになっていくように思います。毎日を穏やかに過ごしていくという意味でも、「脚下照顧」が習慣づくことを只々願うばかりです。