第87回「あらゆる事態を想定して」

世尊(せそん)()(もろもろ)比丘(びく)四諦(したい)(なか)()決定(けつじょう)して疑い無し。
此の衆中(しゅちゅう)に於て()所作未(しょさいま)だ弁ぜざる者あらば、
仏の滅度(めつど)を見て(まさ)悲感(ひかん)あるべし。

お釈迦様の高弟のお一人であるアヌルッダのお言葉は、さらに続きます。

「世尊(お釈迦様)、今、この場に集う者たちは、四諦の道理を十分に理解し、体得できており、疑うところもございません。もし、この中で修行が熟していないがために理解が不十分なものがいるならば、お釈迦様の入滅(死)に直面したとき、悲痛の思いを発するでしょう。」と―。「決定」というのは、「仏のみ教えを固く信じて、どんなことがあっても動揺することなく冷静でいられること」です。「八正道(はっしょうどう)」に生きる釈尊教団の修行者たちにとって、四諦(苦・集・滅・道)という、この世の道理や仕組みは否定のしようがない事実でしかありません。そして、そのことを熟知しているからこそ、いつしか訪れるであろう師・釈尊との別れの覚悟が決まっていると共に、その瞬間を迎えたときに冷静に対処する心の準備ができているのです。

考えてみれば、私たちが冷静さを失い、感情的になるのは、想定外の事態が生じたときではないでしょうか。不測の事態を予期できておらず、心の準備ができていなかったことが起ると、誰だってどうしていいかわからなくなるものです。

しかし、そんなときに、でき得るだけ早く動揺する我が心を調え、冷静に対処していきたいものです。いつまでも心が落ち着かず、感情的になればなるほど、言葉や態度にも表れてしまい、周囲に不要な不安や恐怖を与えてしまいます。私自身、これまでの人生を振り返りながら、幾度もそんな場面に遭遇したことが思い出され、只々、反省するばかりです。いかに心を調えることを習慣づけておくことが大切か、過去の自身を懺悔(さんげ)しながら、同じことを繰り返さぬようにしていきたいものです。

また、不測の事態に対応していく上で、予め起こり得ることをできるだけ予測しておくことも大切です。未来を予測しても完全にその通りになるとは限らないからという意見もわかるのですが、予想が当たるかどうかではなく、起こり得る可能性を想定しておくことによって、いざ、事態が発生したとき、冷静かつスムーズに対応できるものであるということを押さえておきたいのです。

今回のアヌルッダのお言葉は、私たちにあらゆる場面を想定して、心の準備をしておくことによって、穏やかで迅速な対応につながっていくことをお示しくださっているような気がします。常日頃から様々な可能性を思い描きながら、事に当たっていきたいものです。