第15回 「足るを知る」

四供養(しくよう)(おい)て量を知り足ることを知るべし

これまでお釈迦様から「浄戒を(たも)つ」ということについて説かれてきました。それは、たとえば、前回のような「人を批判しないこと」であったり、「むやみやたらと販売行為を行ったりしない(第8回)」であったりと、様々な視点から説かれていました。

そうした「浄戒を持つ」ということについて、今回は「量を知り足ることを知る」という観点から触れられています。これは後程、「知足(ちそく)」という言葉を用いて、更に詳しく示されます。そこではお釈迦様は「あらゆる苦悩から抜け出すには足ることを知ることが大切である。」とおっしゃっています。

私たちの日常生活を振り返ってみると、自分たちが抱えている苦悩が実は、必要以上のものを求めたり、いつまでも一つのことに捉われたりするような、自分自身が生み出す不平・不満や執着が原因であることに気づかされます。物事には必ず両面があります。表と裏、プラスとマイナス。どうにもならない事実に対して、マイナスの部分ばかり見て、それを強引にプラスに変えようとしてみたり、いつまでも不平不満を言ったりするのではなく、事実を受け止めていくのです。すなわち、プラスもマイナスも認めるのです。すると、次第にマイナスにしか見えなかったものにもプラスの部分が見えるようになってくるのです。そうやって、満足することができれば苦悩が消えます。マイナスの部分しか見えないような思い通りにならないことも、そこに捉われなければ、どんなに気持ちが穏やかになることでしょう。

そうした「知足」は日常生活はもちろんのこと、供養の場においても大切であるとお釈迦様はおっしゃいます。「四供養」とは、@飲食(おんじき)A医薬B衣服(えふく)C臥具(がぐ)(寝具類)の四種をお供えすることです。

供養というと、仏様や故人などの仏前へお供え物をお届けすることを想像する方が多いと思いますが、それは生きている人間が亡き人に何かを差し上げることです。それは亡くなった方に対してだけなされるものではありません。たとえば、お中元やお歳暮、お祝いの返礼品など、生きている方に対してなされるものも広義での供養と解釈することもできます。いずれの場合にせよ、自分がよく見られたいという思いだけで高級品を差し上げようとする態度ではなく、差し上げる側は一切の見返りを求めず、差し上げることに徹する。そして、いただく側も必要以上に恐縮してみたり、不平不満を漏らしたりすることなく、相手の思いを受け止め、感謝することに徹する。そうしたモノのやり取りに関わる施す側・施される側・モノの三者が仏の道一筋の、純粋な状態であることが「足るを知る」ということなのです。

日常生活の中で、心身満たされぬような気持ちになったとき、自分の不平不満度を確かめ、プラスの部分に気づき、満足できるように自分の心をコントロールできたらいいのではないかと思います。