第94回「憂悩(うのう)を懐くこと勿れ!―お釈迦様からの“愛語のエール”を受け止めて−

()の故に(まさ)に知るべし、世は皆無常なり。
会うものは必らず離るることあり。憂悩(うのう)を懐くこと(なか)れ、世相是の如し。
当に勤めて精進して早く解脱(げだつ)を求め、智慧(ちえ)(みょう)を以て、
(もろもろ)痴暗(ちあん)を滅すべし。

お釈迦様は、お弟子様たちを始めとする方々(現世での80年のご生涯の中で“直接的なご縁のあった方々”)のみならず、「世尊の二十年の遺恩」をいただいて、後世に生かされる方々に対しても、「得度の因縁」を為して、仏縁を育まれたことを明言なさいました。それを受けて展開されるのが、今回の一句です。

「是の故に当に知るべし」と、お釈迦様は「だから、しっかりと知っておいてほしい」と強く前置きなさいます。これは、この後に述べられることこそが、私たちがこの娑婆世界に生かされていく上で、しっかりと心しておきたい一句であると捉えておくべきでしょう。それが「世は皆無常なり。会うものは必らず離るることあり。」です。「この世は無常であり、出会いがあれが、必ず別れが訪れる」ということです。これは「諸行無常(しょぎょうむじょう)」を具体的に説いたものの一つとして解しておくべきでしょう。

今、お釈迦様は高弟・アヌルッダのお言葉を受けて、最期の最期の力を振り絞って、大悲心に満ちた愛語のご説法をなさっていますが、その中心思想が「諸行無常(しょぎょうむじょう)」です。大切なことは、このことを他人事ではなく、我が事として捉えながら、毎日を過ごしていくことであり、それが仏道を歩んでいくということなのです。

こうした「諸行無常」の道理に従って生かされていくことが、この娑婆世界の掟であるということが、「世相是の如し」というお言葉から読み取れます。特定の人だけが諸行無常の苦悩を味わうわけではありません。この世に生かされている全ての者が大なり小なり、早かれ遅かれ、味わう現実・道理なのです。だから、「憂悩を懐くこと勿れ(心配するな)」とお釈迦様はおっしゃるのです。

「諸行無常」の現実が我が身に訪れることは、この上ない苦悩を伴うものです。しかし、それは誰にでも平等に訪れる現実であり、そのことに対して、自分だけが辛い思いをしていると、勝手に決めつけ、マイナス思考になることほど、残念で寂しいことはありません。自分で自分の可能性を否定するようなものですから。そのことは、よくよくお釈迦様のみ教えを味わっていけば、誰もが気づかされるはずです。そうした娑婆世界の道理に苦悩することなく、少しでも前を向いて生きていけるようにとの願いを込めて、「当に勤めて精進して早く解脱を求め、智慧の明を以て、諸の痴暗を滅すべし」とお釈迦様はおっしゃっているのです。「仏のお悟りに向かって、まっすぐに精進し、少しでも仏のモノの見方・考え方(智慧の明)を身につけ、我が身に沸き起こるマイナス要素(痴暗)を断ち切っていこう!」―死を目前にしたお釈迦様が現世のみならず、後世に生かされるであろう見ず知らずの人々にも心を配って発せられた愛語のエールを、お釈迦様の二十年の遺恩をいただいて、今を生かされている私たち一人一人が、しっかりと心に留めて、毎日を過ごしてきたいものです。