第97回「怠けるな! ―お釈迦様のご遺言―」

汝等且(なんだちじばら)()みね、()(もの)いうこと()ること勿れ。
時将に過ぎなんと欲す、我滅度せんと欲す。
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れ我が最後の教誨(きょうげ)する所なり。

仏教の開祖・お釈迦様(享年80歳)は紀元前5世紀(紀元前6世紀説、紀元前7世紀説、諸説あり)に実在された方です。その80年のご生涯について、下記の一覧表にまとめさせていただきました。

降誕(ごうたん) 4月8日、迦毘羅(かびら)(インドの釈迦族の国)国王・浄飯王(じょうぼんおう)摩耶夫人(まやぶにん)の子として誕生。生後間もなく、実母・摩耶夫人が亡くなるも、叔母(母・摩耶夫人の妹)・摩訶波闍波提(まかはじゃはだい)(後に釈尊の下で出家。教団初の女性出家者となる)に育てられる。
結婚 16歳のとき。妻・耶輸陀羅姫(やしゅだらひめ)(後に釈尊教団にて出家)。一子を授かる(羅睺羅(らごら)
出家 29歳のとき。将来の地位を捨て、家族とも離れて、宮殿を出る。6年間にわたる苦行を中心とした出家求道の旅。
成道(じょうどう) 12月8日、35歳のとき(30歳説あり)。1週間に渡り、菩提樹の下で一人、坐禅・瞑想。仏陀(ぶつだ)となる(仏と成る。人間世界の真理を悟り、自らの心中の苦悩を解決することができる)。
初転法輪(しょてんほうりん) 最初の説法。鹿野苑(ろくやおん)において、出家後、共に6年に渡る苦行を修してきた5人の仲間に仏法を伝える。以降、45年間に渡ってインドの各地を旅し、多くの人々に仏法を伝え、人々の苦悩を救済する。
入滅(にゅうめつ) 2月15日夜半、80歳のとき。拘尸那伽羅(くしながら)にてご逝去。

これまで「仏遺教経」において、お釈迦様の最期のメッセージを読み味わってまいりましたが、これは上記一覧表の中では、入滅の項におけるものです。その中でもお釈迦様の臨終間際のお言葉となるのが、今回の一句です。

「汝等且く止みね。復た語いうこと得ること勿れ」―お釈迦様はお弟子様たちに静かに語りかけます。「もう悲しむのを止めましょう。言葉を発するのも終わりにしましょう」と―。最期の最期に渾身の力を振り絞り、大悲心を以て愛語を語るお釈迦様が一貫してお示しになったのは、「諸行無常」という、人間世界における真理です。この世には時間というものが存在しています。そして、全ての存在が時間と関わっているがゆえに、変化を余儀なくされています。それが「諸行無常」の指し示す道理です。すなわち、生まれたいのちは、いつか必ず死を迎えるということです。まさに「会うものは亦た当に滅すべし」なのです。そして、そのことが「時将に過ぎなんと欲す、我滅度せんと欲す」というお釈迦様がお発しになっている生のお言葉から漏れ伝わってきているような気がします。それは、まさに今、死を迎えようとしているいのちが発する実体験を通じた最期のお言葉とも捉えることができるでしょう。

こうして展開なさってきたみ教えを最期の「教誨(教え諭すこと)」であるとおっしゃって、お釈迦様は静かに80年のご生涯を終えられます。こうして「仏遺教経」の舞台幕が降りていきます。

お釈迦様が「諸行無常」という道理を通じてお伝えしたかったことは何だったのでしょう。それは、我々人間が始まりがあれば、必ず終わりを迎えるいのちを生かされているからこそ、怠けることなく、真理を求めて、仏の道を歩むことが大切であるということです。それこそが、私たち人間たるものが踏み歩むべき生き方であるとの信念を以て、お釈迦様は仏のお悟りを目指して、真っ直ぐに進んでいく生き方をおススメになっているのです。それは、具体的に申し上げるならば、「怠けるな!」ということなのです。そして、そうした生き方が「精進」や、「不退転(ふたいてん)」という言葉で表されているのです。

この「怠けるな!」というお言葉をお釈迦様の最期の教誨であると胸に刻み込んで日々を過ごしていきたいものです。まさに、人生を「怠けるな!」ということこそが、お釈迦様のご遺言なのです。そんな精進だとか、不退転の生き方こそが、いつの時代も我々人間に求められてきた“あるべき生き方”であることを、しっかりと肝に銘じておきたいものです。

私たちがご先祖様から代々受け継いでいただいたいのちは、“限りあるもの”です。また、たとえば、事故や自然災害等が発生すれば、健康で元気だったいのちが、一瞬にして尽きてしまうことだって起こり得るという、まさに、“いつ終わりを告げるかわからないもの”とも言えます。そうしたいのちの特質に目を向け、人間としてどう生きていくべきなのかを、“生き方の達人”たるお釈迦様のみ教えを参考にしながら、毎日毎日を大切に過ごしていきたいものです。