第7回「晝夜恒常(ちゅうやごうじょう)に ―東京2020オリンピックに学ぶ“不退転の生き方”―

又願わくは汝等(なんじら)晝夜恒常(ちゅうやごうじょう)に我を擁護して我が所願(しょがん)を満ぜんことを。

今、「甘露門」を読経している道場に、ご先祖様を始めとする亡きいのちを始め、十方世界の諸鬼神等をお呼びして、食を供養し、作佛(さぶつ)(仏と成ること)していただくことによって、仏の功徳力がもたらされるのを願うと共に、読経する者たちも、自ら作佛することを心に誓います。すなわち、自他共に作佛していくことが「甘露門」における大きなテーマの一つなのです。

ですから、昼夜問わず、不退転の心を以て、仏道を精進していくことが求められていくわけですが、それが、「晝夜恒常」の意味するところです。自らそうした不退転の決意を以て、常に仏道を歩み続けつつ、仏と成った存在に対して、自らの苦悩を救済していただくことを(こいねが)うのが、「我を擁護して我が所願を満ぜんことを」です。すなわち、今回の一句では、「自他の作佛」と「仏の擁護(救済)」ということを、たとえ、どんな状況下にあっても、意識しながら日々を過ごしていくことの大切さを説いているのです。

―令和3年7月23日(金)―
新型コロナウイルスの感染拡大によって、一年間に渡る延期の措置が取られていた「東京2020オリンピック」が、緊急事態宣言真っ只中の状況下において、無観客という形で開幕となりました。コロナ禍の中での開催の是非や、関係者の不祥事による解任問題等、オリンピックにまつわる様々な出来事が発生しましたが、いざ、始まってみますと、この日のために必死に鍛錬を重ねてきたアスリートたちの活躍に心打たれ、元気づけられている毎日です。特に無観客という状況下においても、観客の有無に関係なく、自分たちの力を存分に発揮する姿は、「晝夜恒常に」道と向き合ってきた人間だからこそのものではないかと感じます。まさに昼夜問わず、道を歩む者ゆえに生み出されるものなのです。こうしたアスリートたちの姿は、まさに「不退転の姿」そのものです。

自分たちを元気づけてくれる観客の声援があろうがなかろうが、今の自分が置かれている状況の良し悪しに捉われることなく、真剣に仏の道に向き合っていくのが、仏法僧の僧たる“仏道修行者”たちなのでしょう。彼らが法と共に毎日を生きていくときに、仏のお悟りに近づいていったということなのです。是非是非、私たちも見習っていきたいものです。