第17回  法演(ほうえん)四戒(しかい)」を味わう@
   「勢不可使尽(いきおいつかいつくすべからず)



反省を忘れずに、勢いを調整しながら日々を過ごす


今回より4回に渡り、「法演(ほうえん)四戒(しかい)」を味わっていきたいと思います。
法演(?−1204)は宋代の臨済宗楊岐派(りんざいしゅうようきは)の僧侶です。その法演が掲げた寺の住職である自分を律するための4つの徳目が「法演の四戒」です。

その4つとは、以下の通りです。

@ 勢い使い尽くさば、(わざわい)必ず至る
A
 福受け尽くさば、縁必ず()なり
B
 規矩(きく)行い尽くさば、人必ずこれを(はん)とす
C
 好語(こうご)説き尽くさば、人必ずこれを(やす)んず


この4つの戒めは現在、法演と同じく一寺院の住職である自分はもちろん、お寺の住職に限らず、皆にとって、大きな教訓となるものばかりです。

―「勢いを使い尽くさないように」という戒めについて―

「人生は山あり谷あり」と言います。山は調子よく勢いに任せて登り調子になっている状態、谷は調子を崩し、勢いがなくなっている状態を言い表しています。

自分自身の人生を振り返ってみると、うまくいっている登り調子のときほど、反省するのを忘れていたことが思い出されます。そんなときは、登りの勢いに任せ、周囲に目を向けたり、気配りをしたりすることすらなく、何も考えずに突っ走っていました。しかし、実は、その先には谷が存在していたのです。勢いに任せ、グイグイと登っていたときには谷の存在に気づきませんでしたが、本当は勢いよく登っていたのではなく、谷に向かっていたのです。そして、気づいたときには、谷底で苦しみもがいている自分がいたのです。

こうした山と谷の繰り返しの中で、失ってしまったものに対するありがたみに気づいたという経験は誰しもあると思います。どこかで自分を振り返り、反省する場さえあったならば、谷底で苦しむことはなかったでしょう。

仏教には懺悔(さんげ)というみ教えがあります。これは自分の日常を振り返り、痛い目に遭った原因を突き止めたならば、二度と同じ過ちを犯さぬようにしていくことです。日々の中で、懺悔を忘れずに過ごしていくならば、必ず、往事(おうじ)のような登り調子の勢いが返ってくるのです。

勢いは決して、不要なものでもなければ、悪いものでもありません。勢いがなければ、消極的な生き方しかできません。どうしても自分に自信が持てず、クヨクヨして生きていくことになるでしょう。しかし、勢いがあれば、意欲的かつ積極的に生きていけるのです。

大切なのは、その勢いの使い方なのです。それを説いているのが、法演の自己に対する戒めです。つまり、勢いを使い果たさないようにしようというのです。一つ間違えれば、すぐに使い果たしてしまいかねない勢いですが、日常生活の中で懺悔をしっかりと行いながら、勢いを調整していくと共に、勢いを、他者を元気づけたり、励ましたりするような、皆にとってプラスになるような使い方を目指していくことが勢いの使い方だというのです。

そんな法演の戒めを、我々も見習い、勢いを上手く調整しながら、日々を過ごしていきたいものです。