第13回「
「甘露門」に登場する二つ目の“陀羅尼”となるのが、「破地獄門開咽喉陀羅尼」です。この陀羅尼には、「地獄の苦しみを破る
「地獄」と言えば、仏教に造詣のある方ならば、「
苦悩というと、私たちの周りには様々な苦悩があります。最愛の人との別れがもたらす苦悩、会いたくない人とも会わなくてはならない苦悩、年を取って身体が思うように動かない苦悩に、病気の苦悩、考えてみただけでも色々な苦悩が思い浮かべられます。そうした苦悩を抱えながら、私たちは毎日を過ごしているわけですが、少し視点や考え方を変えることによって、次第に状況が変化し、苦悩が軽減したり、解消されたりしていくことがあります。ところが、いつまでもマイナス思考のままでいるなどして、何か一点に捉われているようなモノの見方・考え方をしているようでは、中々、状況が変化することがなく、いつまでも苦悩を抱えた状況だけが続いていくことになるのです。
そういう状況が続くことは、仏のお悟りに向かって真っ直ぐにつながっている道に何らかの障害をもたらすだけで、何もいいことはありません。自分に苦悩をもたらす原因を突き止め、そこに執着すること(立ち止まること)がないようにしていく「離執」という生き方によって、人々は苦悩から解放されていくのです。それが「破地獄門」ということなのです。
「甘露門」には、「食=法」という観点が示されていました。この「法」というのが、言うまでもなく、私たちを苦悩から救ってくださるお釈迦様のみ教えです。食によって、肉体を健やかに養うと共に、明日へのいのちをつなぎながら毎日を過ごす私たちですが、そんな食が一切与えられず、空腹で過ごすこともまた、私たちにとって耐えがたい苦悩の一つです。
そうした私たちが生きていく上で欠かせない重要な存在である食は、私たちの口から喉を通って、体内に吸収されていきます。「咽喉」という「のど」を意味する言葉が登場する理由はここにあるのでしょう。「咽喉」は私たちが生きていく上で欠かせぬ大切な存在であり、まさに、急所そのものです。そうした咽喉を開き、私たちの救いとなる食(=法)を注入し、地獄への道を閉ざす経文となるのが、「破地獄門開咽喉陀羅尼」なのです。この陀羅尼を我が身に念じ込み、地獄に輪廻することがないよう、我が身心を仏法によって調えながら、毎日を過ごしていきたいものです。