曹洞宗布教教化方針
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曹洞宗の布教教化は、一仏両祖の |
曹洞宗を始めとするどの仏教宗派も、社会とのつながりの中で存在しています。そうした関係の中で、社会が抱える苦悩や課題に向き合い、お釈迦様や宗派の開祖様のみ教えを以て問題の解決に導いていくのが各仏教宗派の使命と言っても過言ではありません。 こうした使命に対して、曹洞宗では1992年(平成4年)から「人権・環境・平和」の3つを布教の三大スローガンに掲げ、様々な取り組みを進めると共に、東日本大震災等、各地に大きな影響を及ぼした各種自然災害で被災された方々の苦悩に寄り添ってきました。「曹洞宗門のみ教えを通じて、社会の苦悩に寄り添う」という姿勢は、宗教者を名乗る者として、この先も大切にしていかなければならないような気がします。 そんな中で、近年、多くの企業・団体が注目し、自らの活動に取り入れている「SDGs」について、曹洞宗でも、これまで「人権・環境・平和」を掲げながら取り組んできた活動を土台としながら、発展的に取り組んでいこうとしています。曹洞宗門全体として、また、各地の一曹洞宗寺院として、どんな活動が展開できるかは、この先、具体化していくことかと思いますが、一宗教者として「SDGs」を意識し、日々の布教活動の中で展開していきたいものです。 |
一、一仏両祖を敬い、おとなえの普及につとめます。 私たちは、日々「南無釈迦牟尼仏」「 |
曹洞宗は一仏両祖(お釈迦様・高祖道元禅師様・太祖瑩山禅師様)に帰依し、そのみ教えと共に生きていくことが、仏のお悟りに近づき、我が身心に |
二、禅の実践をすすめます。 私たちは、寺院の内外を問わず、様ざまな機会において坐禅の実践をすすめます。より多くの方が坐禅に親しめるよう、いす坐禅やオンラインでの坐禅会、またインターネットによる動画の配信等を活用し、常に坐禅普及の可能性を模索してまいります。 そして不安で落ち着かない社会の中にあっても、身と息と心を調える坐禅を中心とした「禅の生き方の実践」が、智慧と慈悲を育み、確かな人生の基軸となることを人びとに伝えひろめます。 |
一仏両祖様が身心を調え、お悟りを得たのは、坐禅をやって、やって、やり続けなさったからに他なりません。一仏両祖様と同じく人間としてのいのちをいただいた私たちも、同じように坐禅を行じ続けていくことによって、身心に安楽がもたらされると同時に、人間性が完成していくのです。 この「人間性の完成」ということが、すなわち、「悟りを得る」ということです。すなわち、人としての道を成し遂げることが、悟りを得ることなのです。そうした機縁となる坐禅を日常生活の中で、10分程度のわずかな時間で構わないので、確保することを願っております。 |
三、『修証義』「 私たちは、本宗の教義である『修証義』「四大綱領( |
一佛両祖様のみ教えに随い、坐禅を行じ、智慧と慈悲を育みながら、人間性が完成されていくと、そこから発せられる言葉や行いは、周囲に存在するあらゆるいのちに気が配られた、周囲と一体化したものとなっていきます。 そんな言葉や行いが提示できる人が増えていけば、人々に幸せと安寧が訪れることは言うまでもありません。少しでも多くの方が、こうした言動を意識し、他者と喜びと安心を共有し合っていくことができる日常を是非とも、目指していきたいものです。 |
※SDGs(Sustainable Development Goals)は「持続可能な開発目標」と訳され、二〇一五年の国連サミットで加盟一九三ヵ国の全会一致で採択された「貧困や飢餓の解消」「平和的社会の実現」などに関連する十七の課題を、統合的・包括的に解決していこうとする国際目標です。 |
残念ながら、「人間関係の希薄化」や「仏事の簡略化」はコロナ禍によって、一層進んでしまったような感があります。SNSが発達し、様々なコミュニケーション手段が存在するのも関わらず、それに反比例するかのように人間関係が薄まっているというのはどういうことなのでしょう。思うに、その背景には、人間同士がコミュニケーションを取ろうとする意識の希薄化があるような気がします。 facebookをしている方もいらっしゃるかと思いますが、自分の投稿に対して、“いいね”もさることながら、何気ないたった一言のコメントでもいただければうれしいものです。また、直筆のお手紙をいただいたときの喜びは計り知れないものがあります。お寺のお檀家さんには絵手紙を書かれる方がいらっしゃいますが、絵や字に自信がなくても、書こうと思えば書き上げられる絵手紙も悪いものではありません。 要はいかなる手段を使いながらでも温かい言葉をやり取りし合いながら、人と人がコミュニケーションを取り合うことが、生き生きとした日常生活を送ることにつながっていくことを再確認しておきたいということです。 |