第18回 「
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幸せは、独り占めせず、皆で分け与えるもの
前回に引き続き、「法演の四戒」を味わってまいりたいと思います。
宋代の臨済宗楊岐派の僧侶・法演(?−1204)が寺の住職である自分を律するために設けた4つの徳目。その二つ目が「福不可受尽」です。
砂漠の中をさまよい歩いていたとします。
どこまでも続く灼熱の地、とめどなく全身を流れる大粒の汗、周りには水分補給する場所すら見当たりません。
そんなとき、眼前に2gのペットボトルが落ちていました。中には冷たい水がギッシリ詰まっています。
こんな状況の中ならば、誰もが何もためらうことなく水を飲むでしょう。しかし、もし、他にも行動を共にする仲間がいたら、どうするでしょうか?独り占めするか、他の仲間に全て差し上げるか、あるいは、皆で分け与えるか・・・?
独り占めすれば、自分の喉は潤うでしょう。しかし、他の仲間の喉が潤うことはありません。逆に、他の仲間にあげれば、彼らの喉は潤っても、自分の喉は決して、潤いません。仲間の中で誰かが救われ、誰かが犠牲になる―それでいいのでしょうか?そんなことはありません。誰も犠牲にならないよう、皆に平等に分け与えて、皆が救われることが、法演が今回の戒めに込めた願いなのです。
こうした法演和尚の願いを前に、「灼熱の砂漠の中で、皆が苦しんでいる中で、自分だけが水を飲めて救われればいい」と考える社会であってほしい願うものです。皆が苦しんでいるとき、ごく一部の人だけが救われようとするから、争いが発生するのです。争いの果ては「いのちの奪い合い」に発展します。もし、平等に分け与えることができるならば、争いも殺生も起こらないはずです。
人として生きていく上で、この「法演の戒め」が放つ意味を忘れずに過ごしていく必要性を感じます。