第14回「無量威徳自在光明加持飲食陀羅尼(むりょういとくじざいこうみょうかじおんじきだらに)―“加持(かじ)”を意識して―

曩莫(のうまく) 薩嚩(さらば) 怛他蘖多(たたーぎゃた) 嚩嚕吉帝(ばろきてい) 唵三婆羅(おんさんばら) 三婆羅吽(さんばらうん)

今回は「甘露門」における三つ目の“陀羅尼”・「無量威徳自在光明加持飲食陀羅尼」について触れさせていただきます。。「加持」とありますが、これは仏教信者(仏に帰依する者)が仏の加護を受けることによって、仏の慈悲と衆生(人々)の信心が通じ合った「感応道交(かんのうどうこう)」の状態になることを指しています。

修証義第一章・「總序(そうじょ)」において、私たちはご先祖様からつながる先祖代々のいのちをいただいて生かされていることが説かれています。そんな“いただきもののいのち”を仏のみ教えに従って調えながら、正しく生かしていくことが、私たちに与えられた使命であるわけですが、その使命を実現していく上で、私たちが仏様を始めとする仏法僧の三宝に帰依し、三宝と心を通じ合わせていくことが必須であることを押さえておきたいものです。すなわち、「加持」ということが、私たちの日常生活において実現されるようにしていくことが大切であるということです。


そのためにも「仏法」を「一杯のお椀に盛られた飲食物」のごとくにいただき、仏の加護を頂戴すると共に、我が身心を仏のごとく調えていくことを誓い、「無量威徳自在光明加持飲食陀羅尼」に触れていくことが大切です。「無量」は「この上ない」とか、「最上」ということであり、「威徳」は「勝れた仏のお力・お徳」を指します。「自在」は、「自由自在」という言葉がありますが、「一切の束縛から離れた自由の境地」、すなわち、「仏のお悟り」を意味しています。そして、「光明」は、そんな仏が常時発する光のことで、救いを求める人々に利益(りやく)を与えてくれるものです。「無量威徳自在光明」というのは、言ってみるならば、「悟りを得た仏のみ教え」ということに集約することができるでしょう。

日頃から、何かと苦悩を抱えながら生かされている私たちですが、仏法僧の三宝に救いを求め、そのみ教えに随いながら我が身心を調えていくことによって、あらゆる苦悩から解放されていきます。しかし、一方的に仏に救いだけを求めていても、救われることはありません。救いを願う以上は、自分自身も、それに応じた行いを提示していくことが欠かせないということです。すなわち、仏法僧の三宝と心を通じ合わせながら生きていく「加持」ということを意識しながら日々の生活を送ることが大切なのです。