第18回「五如来宝号招請陀羅尼(ごにょらいほうごうちょうしょうだらに)妙色身如来(みょうしきしんにょらい)

南無妙色身如来(なむみょうしきしんにょらい)曩謨薄伽筏帝(のうぼばぎゃばてい)蘇嚕波耶(そろばや)怛他蘗他也(たたーぎゃたや)破醜陋形圓満相好(はしゅうろうぎょうえんまんそうこう)

「五如来宝号招請陀羅尼」において、二つ目の如来(仏様)として登場するのが、「妙色身如来」です。この「妙色身如来」に帰依することによって、自分の中に生じた醜いものを取り除き、清浄な状態を保つことを願います。それが「破醜陋形圓満相好」の意味するところです。

自分の中に生じた醜いものというのは何でしょうか。それは、三毒煩悩(貪り・(いか)り・愚かさ)に満ちた言葉や行いを発し続けることによって、いつしか作り上げられてしまった悪しき自分です。すなわち、自分を顧みて、問題点等を改善することなく、仏のみ教えから外れた言葉や行いを提示し続けることによって、身心共々に汚れた姿になってしまった我が身です。それが「醜陋」の意味するところです。「陋」には、「品が悪い」とか、「粗悪である」という意味があります。これは決して、身長の高低とか、ルックスの良し悪しといった見た目の情報で感覚的に好悪を分別して捉えるような次元のものではありません。あくまで三毒煩悩によって発生する共に、懺悔(さんげ)の修行を怠ったがゆえに生じてしまったものなのです。そうした「醜陋」を打ち破り(破醜陋)、自分自身の姿形が「圓満相好」(身も心も尊貴であること)になることを目指し、妙色身如来への帰依を誓うのです。

ちなみに、「妙」という言葉が用いられていますが、これは、仏教の世界ではしばしば目にする言葉で、「言葉では表現し尽くすことのできぬほどに勝れたもの」という意味があります。まさに悟りを得たお釈迦様を始めとする仏様という存在を端的に言い表すならば、「妙」という一文字で言い尽くされているでしょう。色身(姿形)から妙なるものがにじみ出ている仏様に我が身の全てを委ね、身心共々に清浄であることを目指し、我が発する言葉や行いを調えていきたいものです。

新型コロナウイルスの第5波がピークアウトし、感染状況が落ち着きつつある今日この頃ですが(令和3年10月現在)、街中は自粛生活をじっと耐えてきた人々で賑わっています。また、お寺の世界に目を向けてみると、コロナ禍で中止や自粛を余儀なくされてきた法要が少しずつ再開し始めています。そんな中で、数ヵ月ぶり(中には数年ぶりという方もいらっしゃいます)にお会いする方もいらっしゃいました。そうした方々と接してく中で、特に「破醜陋形圓満相好」を心がけていきたいと感じます。久しぶりにお会いする方だからこそ、特に心を配り、穏やかな顔・温かい言葉で接していく意識を持つことが大切だということです。

果たして、第六波が到来するのか、「コロナ禍」の行く末は全く読めませんが、コロナ禍だからこそ、「破醜陋形圓満相好」を意識しながら、特に念入りに自分の身心の調整に留意すると共に、コロナが収まってからも、十分に我が身心に念じておきたいものです。