第17回「戒の実践者」


()(すなわ)ち略して持戒(じかい)(そう)を説く

「浄戒を持つ(持戒)」ということについて、お釈迦様はいくつかの具体例を出しながら、お示しになられました。それは日常生活の中で戒(悪いことをせず、よいことをして生きていく)を護るということであり、ここでは、お釈迦様は最期に持戒ということについて、自ら略してお示しになったことが示されています。

“略して”というのは省略したということではありません。難しいみ教えを噛み砕き、誰もが理解できるようにしてお示しになったと解釈すべきでしょう。死を目前としたお釈迦様にそれができたのも、お釈迦様ご自身が浄戒を保持してきた“戒の実践者”に他ならないことを意味しているように思います。

お釈迦様が戒の実践者であるということは、別の観点からいけば、ご自身が戒を大師(だいし)と捉え、帰依(戒を仏様のごとく敬うこと)していたことも意味しています。それは、あたかも子宝に恵まれなかった夫婦がやっとの思いで授かった一子を慈しみ育てるがごときお姿です。

そんなお釈迦様がお示しになられた「浄戒を持つ」ということについて、一旦、箇条書きにまとめて提示しておきたいと思います。

浄戒を持つ
@深く世間に関わらないようにする
 ・過剰な利益を追求しない(無意味な商売をしたり、必要以上に田畑を耕したりしない)
 ・無益な薬を調合したり、占いにはまったりしない
 
A何ごとにも執着しない(中道:ほどほどにしておくことが肝心)
 ・トラブルに発展するまで問題を追及しない
 ・身なりや食事をほどほどにしておく
 ・人の欠点を追及しすぎない
 ・足るを知る(今の状況を受け止め、少しでも前向きに捉えられるようにしていく)
 ・無駄な蓄積をしない

お釈迦様は戒について、「中道」という偏らない、やり過ぎないという見方で捉えることをお示しになっています。私たちもお釈迦様のように戒を敬い、戒と共に生きていくならば、お釈迦様のお悟りに近づき、心安らかな平穏な日々が訪れるはずです。